Hannah Arendt`s Political Philosophy (lO)—-2

Transcription

Hannah Arendt`s Political Philosophy (lO)—-2
追手門学院大学人同学部紀要
20緋川阻靴O号,
39-58
ハンナ・アーレントの政治哲学(
㈲づ
『冬ソナ』、『ヨン様』ブームのアーレント的・フ エミニズム的解釈
志 水 紀代子
Hannah Arendt's PoliticalPhilosophy (10)−2
Interpretation of "The boom of Winter Sonata and its star
Bae Yong Joon”from the Viewpoint of the Arendtean Feminism
K[YoKoShimizu
Summary
On
Monday
and
Tuesday,
October
24-25, 2005, I gave
two lectures at the
State University of New
York at Buffalo:(1)"Understanding between
Japan
Culture," and (2)"Women
through
Popular
Controversy." My
Department
In my
lectures were
of Women's
Textbook
Studies
and
the
Studies of the University at Buffalo.
presentation, l addressed the issue of how
the recent popular culture is
Japan
and Korea. l focused
TV boom, on a sequel movie, and on the movie star Bae Yong
The guiding idea of my
who
the Japanese
co-sponsored by the Asian
positivelyinfluencing the relationship between
the Korean
and
Korea and
analysis was the politicalphilosophy of Hannah
on
Joon.
Arendt,
has been long a focus of my research and thinking, and especially her defi-
nition of friendship。
In my present paper, l shall attempt to analyze the significance of the popular
culture centering around
its star Bae Yong
the phenomena
Joon, and to show
tributing to a better mutual
While Hannah
of the boom
the reasons how
understanding
among
of "Winter
people of Japan
Arendt's views on friendship, reconciliation and
stitute the background
Sonata
these phenomena
of my analysis,it would also reflect my
” and
are conand
Korea。
forgiveness conexperience of the
lectures at the University of Buffalo and the responses l have received from the
audience, both American
The
and other international members.
key concept l shall use on this occasion is "pacifism" as defined by the
ninth article of the Japanese
Constitution.
Keywords: friendship, feminist ethics, reconciliation,pacifism, forgiveness
−39−
追手門学院大学人同学部紀要 第20号
はじめに
2005年10月24日と25日、わたしはニューヨーク州立バファロー大学で二つのレクチャーをする
機会を与えられた。
Japan
through
24口は「日韓の大衆文化交流」("Understanding
Popular
between
Korea
Culture.")についてであり、25日のもう一つの方は、発刊間際にあっ
た『ジェンダーの視点から見る日韓近現代史』についての経緯についての報告("Women
the Japanese
Textbook
and
and
Controversy.")であったI。バッファロー大学のアジア文化研究所と、
女性学部の共催で開催されたこの講演会に、中国や韓国からの留学生も参加してくれ、特に彼ら
は、25日の「共通歴史教材作り」に大きな関心を示し、中国人留学生から、何故日韓なのか、ジェ
ンダーの視点とは具体的にどのようなことを指すのか、といった核心に触れた質問が出され、元
「慰安婦」の人たちが声を挙げるのを支えてきた日本と韓国の女性たちの交流の経緯について話
すことができた。韓国で英語の教師をしていたというアメリカ人男性は、韓国版はいつ出るのか
と訊いてきた。また後で、英文科に在籍する博士課程の韓国からの留学生か、質疑応答の通訳を
してくれた哲学博士課程の有馬斉君を通して送ってくれた感想文もあった≒
今回は、このバッファロー大学で私か話した内容、及びディスカッションを通して得られた新
たなヒントを取り入れながら、今フェミニズムが当面しているさまざまな問題を視野に入れつつ、
アジア諸国からさらに、アメリカやヨーロッパでもシンポジウムを大々的に開催しようとする動
きのある3、「冬ソナ」、ぺ・ヨンジュンブームの世界的な広がりのなかで、今、多くの人々に関
心を持たれている「非戦」−「平和への希求」をテーマに、さらに議論を深めていきたいと思う。
8月末のぺ・ヨンジュンの来日と「四月の雪」について
2005年8月29日、この日33歳の誕生日を迎えるぺ・ヨンジュンが特別機で来日した。 9月中旬
に針mられる『四月の雪』(原題『外出』)の映画のプロモーションのための来日であったが、空
港での混乱を避けるために、チャーター機での極秘裏の入国であったにも関わらず、600人のファ
ンが出迎えたという。その後は、翌日の衆議院解散総選挙の告示もどこかへ吹き飛んでしまうよ
うなフィーバーぶりで、彼が日本での公式日程を終える3日まで、マスメディアの方が圧倒され
るほどの状況であった。
特に今回、彼が、日本で30年以上も続いている黒柳徹子がホスト役の人気番組『徹子の部屋』
に出演し、韓国でもこれまで一度も出演したことのなかったトークショーで、素顔の「ヨン様」
を[1本中に公開したことが、さらにファン層を広げ、彼の人気に拍車をかけることになった。
これまで、そのパワーに圧倒され、半信半疑でどちらかといえば斜に構えて中高年女性を中心
としたファン層の過熱振りをみてきた男性の中に、意識の変化が生まれてきたことは確かであっ
た。「韓流ブーム」と呼ばれる商業主義に乗った一方通行の文化交流を率直に批判し、「文化交流
は双方向でなければならない、アジア全体の交流が必要である」と語る彼の言葉に偽りや衛いは
なく、どのインタビューでもこの姿勢は一貫していて、彼の誠実さや律儀さともども、その人間
40
志水:ハンナ・アーレントの政治哲学(10)−2
r冬ソナム『ヨン様』ブームのアーレント的・フェミニズム的解釈
的魅力を浸透させていった。映画そのものの制作過程から、彼の一挙手一投足が週刊誌を賑わし、
これほどまでに来日が待たれた俳優は、これまで例がなかった。彼のことを記事にすれば当たる
という商業ベースに否も応もなく巻き込まれて、ビートルズ以来の大衆文化現象であると言われ、
あるいはその幅広い人気が往年の名女優オードリー・ヘップバーンに準えられたりした。
その後『四月の雪』が針mられて、公式HPではこの映両をめぐって熱い議論が飛び交った。
不倫をテーマにしたこの映画で、主人公を演じたぺ・ヨンジュン自身がその役になりきるために
悪戦苫闘したというが、そうした、自身の道徳観とのギャップを埋めていく中で、彼は、結果的
に多様な愛を知ることができたと率直にインタビューで答えている几
ただこの映画は、ぺ・ヨンジュンの努力や思い入れ、相手役女優の演技力、すばらしい挿入音
楽など、特筆に値いするものではあったが、最終的には編集する監督の裁量やセンスに負うこと
になって評価は分かれた。トIPでも繰り返しスレがたてられ、毎回熱いレスが返された。公式H
P上でやり取りされる意見交換は、質的に高いものが多く、ぺ・ヨンジュン家族(彼はファンの
ことを愛情を込めて「家族」と呼ぶ)の層の厚さを改めて思い知らされることになった。
この映画のホ・ジノ監督は「冬のソナタ」のユン・ソクホ監督と違って、女性が感情移入して
映画を見ていくには、いささか戸惑う、難解な作品を提供した。小説『四月の雪』(ワニブック
ス 2005)を女性作家のキム・ヒョンギョンが書いているが、ホ・ジノ監督が、もし彼女といっ
しょにシナリオを描き、それを編集に生かしていれば、さらにいいものに仕上がっていただろう
といささか惜しまれる。ここで、改めて『冬のソナタ』のシナリオを書いた若い二人の女性作家
と、彼女たちのセンスを生かしたユン・ソクホ監督の力量を思ったことでもある。
さて、ここでは、女性作家のセンスが光った「冬のソナタ」の、ユジンの勁さとやさしさから
述べていきたい。
ユジンのもつ「つよさ」とやさしさ
ユジンは早くに父を病気で亡くし、母は市場で洋品店を営みながらユジンと妹のヒジンを育て
ている。高校時代の彼女は、そうした家庭環境の中で伸び伸び育ち、明朗活発で正義感の強い自
立した女の子である。転校してきたチュンサンがクラス委員のサンヒョクを困らせるのを見て、
彼のその横柄な態度に直接抗議をする。しかし同時に、音楽の時間にピアノが弾けない(と彼女
が勘違いしたのだが)でいるチュンサンを見て、音楽の先生に「彼は転校生なんです」と説明し、
かばっている。母に頼まれ市場に届け物をした帰りに酔っ払いに絡まれ、ちょうど食堂で食事を
して出てきたチュンサンに助けられるが、警察で事情聴取を受ける中で、チュンサンも父親がい
ないことを知り、彼の突っ張っている無愛想な態度の奥にある寂しさに気付く。それがきっかけ
でやがて二人はかけがえのない愛を育てていくが、その愛は、チュンサンの交通事故死で終わる。
初恋の人チュンサンを事故で亡くした10年後、彼女はサンヒョクと婚約し、インテリアデザイナー
−41
追手門学院大学人間学部紀要 第20号
として一線で仕事をしている≒
建築現場で、親方や棟梁といった男尊女卑の考え方にどっぶりつかった男性を柑于に、彼女は
現場監督として凛として一歩も退かない。しかし、彼らとの人間的な出会いを犬切にしつつ、ぶ
つかりあいながらも、因習に縛られず常識的な男女の差異を超えたところで、信頼関係を築いて
いく。
ある日、現場の親方が奥さんの命日に飲みすぎて、凍死しかけたとき、上司にあたるミニョン
が彼を解雇したことを聞いた彼女は、ミニョンに掛け合って、自分の首をかけて(解雇するなら
自分も辞めると)ミニョンの考え方に断固抗議する。そのときの彼女の原点にあるのが、チュン
サンを亡くしたときの想いである。「心から誰かを愛したことかおりますか。まわりは何も変わ
らないのに、ある日突然、愛する人がそこからいなくなる、その寂しさがわかりますか」と彼女
が問いかけたとき、ミニョンはその真摯な迫力に圧倒される。そして、チェリンの嘘にまだ脳さ
れ、ユジンに対する誤解は解けないまま、彼女のこのことばに、先の解雇を撤回するのである。
やがて彼は、ユジンに対する不可解な混乱が、恋人をユジンに奪われたくないチェリンの嘘によ
るものであることを知り、誤解した分、いっそう気持ちが堰を切ったようにユジンに向かってい
くことになる。誤解していたことを謝罪するミニョンに対して、ユジンは「誤解か解けたならい
いです」と、それ以上は追求しない。節度のある赦し、彼女のこの姿勢は、後の14話の二度目の
交通事故で入院したチュンサンを必死で看病するユジンに向かって、サンヒョクが「実はずっと
前から僕はミニョン氏がチュンサンだということを知っていた」と告白し、そのことをユジンに
黙っていたことについて「怒らないの?」とユジンに問う場面で、「サンヒョクが言わなかった
気持ちはわかるわ。そんなこと気にしていたの?もう済んだことよ。」という場面でも貫かれて
いる。
また、10話では、ユジンがミニョンを選んだことで、サンヒョクがショックで入院し、生命の
危機に陥ったとき、彼を心配するユジンを「苦しんでいるユジンさんを見ているより」と彼女を
病院に連れて行ったチュンサンの気持ちを受け止めつつ、サンヒョクの元にとどまることを決意
する。愛するが故に別れなければならない、自己抑制をしていかねばならない。耐えなければな
らない。それは他者とのかかわりの中で生きていく者が、他者の立場に立つことが出来て初めて
見えてくるものである。 ミニョンを愛しつつ、サンヒョクとの結婚を決めたこのときのユジンが
そうであった。 ミニョンに対しては「ごめんなさいなんていわない。あなたは私の一番大切な心
を持っていった。愛しています」と言い残して去っていく。
また19話で、二人か愛し合うことかタブーとされている異母兄妹だということでチュンサンと
引き裂かれたあと、彼と二人だけの最後の別れの場面での彼女も秀逸であった。「愛してるわ。
これまでもそうだったしこれからもずっと忘れない。これって悪いことなの?」といい、「決し
て悪いことではない」と答えるチュンサンに、「そう、悪いことではない。誰になんといわれよ
うと、恥ずかしくない。私、あなたを本当に心から愛したのよ。あなたもこのことを忘れないで
42 −
志水:ハンナ・アーレントの政治哲学(10)−2
『冬ソナ』、『ヨン様Jブームのアーレント的・フェミニズム的解釈
ね」という。古いしきたりや因習、母親の反対の前で、すべての努力も空しく潰えて、立ち上が
れなくなっていたチュンサンを、このことばで彼女は救ったのである。
この「冬のソナタ」が「純粋な愛のかたち」という普遍的なテーマで、虚飾のない人間の関わ
り、また関わりの中での人間のドラマを見事に歌い上げたものであることは前回述べたとおりで
ある。このドラマは、愛がどこまでも奪うものであると同時に、どこまでも与えるものでもある
という二l面性を私たちに伝えている。そして、自己抑制によって与えられる節度ある愛が、どれ
ほど人の心を動かすものであるかということも伝えてやまない。私はこのユジンの行動に、「成
-遅配噪&配ゆ
然したフェミニズムのあるべき姿」を見ることができるのではないかと思うのである。後述する
4も4〒謬曹w謬哨4φ4〒φ4か4哨r哨哨+f〒fs〒¶wrswwrgw罰w〃曹¶--ys曹w罰ss一曹〃謬あ
ように、そこには現代社会のさまざまな問題を解決していくヒントになるものかおる。
文化のもつ普遍的価値
その後、この文化現象については、さまざまなところで分析がなされているが、日本で大ブレ
イクした理由に、日本の芸能人がもはや「│にしないようなストレートなセリフを韓国の芸能人が
口にすることによって、それが新鮮に映り、日本の女性のハートに屈いたということを挙げてい
るケースが多い。民族性のちがいや文化的背景のちかいに重点がおかれることも多い。だがそれ
以上に、韓国ドラマや映画の面白さは、その歴史的現実を背景にしたその時代や社会がきちんと
描かれている、つまり「社会性かおる」ことを挙げておかねばならないだろう。最近は日本のド
ラマの傾向もその影響を受けて変化してきているように見受けられるが、残念ながら社会性が皆
無といっていいような無思想なナンセンスものがなお横行しているのも事実である。
いまなお根強い人気のある「冬のソナタ」だが、登場人物の誰一人として、斜に構えたり、誤
魔化したりすることがない。相手のことを大事にしつつ、愛するが故に、すべてを賭けて困難に
立ち向かっている。それぞれが精一杯に、ひたむきに生きている。サンヒョクやチェリンの嘘で
さえ、人間の愛の二面性の真実を伝えていて切ない。
アーレントがもっとも重要視した「社交性」は、このような人と人とが関わりあって生きる、
この究極の関係性の「匪界」において、信頼吐が保たれるなかではじめて生かされる。その意味
において、ここには、求められている究極の「政治」が生まれることを予感させるヒントがある
と言っていいのではないだろうか。今の日本では、先ず考えられない状況が悲しいが…。
このドラマかエジプトを初めとするアラブの世界で、さらにヨーロッパやアメリカでも放映さ
れようとしている現実は、改めてTVの映像の持つ影響力の大きさを思い知らせてくれる。アジ
アからのメッセージが、世界の人々に共有されることに、文化の持つ普遍的価値をそこに見出す
と同時に、ただ、そうしたメッセージが、この日本では、いま多くの若者のハートに届き難い現
実を、どのように見ていけばよいのか、あるいはこの傾向もまた、今日的で世界的なものなのか
と考えざるをえない。いま、これまでのフェミニズムの有り様に対する自己反省を踏まえながら、
ユジンの「つよさ」を考えるとき、そこにいくつか今後に向けての新たなヒントが見えてくるよ
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追手門学院大学人間学部紀要 第20号
うに思われる。それは、一言で言ってしまえば、事実に誠実に向き合うことであり、リアルな現
実のラディカルな変革に、諦めることなく、しかし柔軟に加担していくことであると私は考える。
ベルギーの映画監督ダルデンヌ兄弟の作品
対照的なアングルから若者を見つめるベルギーの映画監督ダルデンヌ兄弟6の作品と、彼らの
メッセージを、ユン・ソクホ監督のそれと比較しつつ考えるとき、一見無関係に見える彼らの視
点に共有されているものかおるのがわかる。余裕のなくなった今の時代や社会が失ってしまった
ものを、ダルデンヌ兄弟は底辺から映し出している。他方ユン・ソクホ監督は、ノスタルジック
にそれを思い出させるのである。
私は「冬のソナタ」、そして俳優ぺ・ヨンジュンがアジアにもたらしたもの、とりわけ日本の
女性たちにもたらしたものが、その後どのような政治的変化を引き起こしてきているのかに注目
しているが、同時にそれらとの関係において、彼女たちと距離を置く若者の政治的動向にも注目
してきた。同じ時代にこの日本において、おそらくニードやフリーターと呼ばれる彼らの親の世
代にあたる女性たち(戦後生まれの戦争を知らない世代の女性たち)も、冬ソナ、ぺ・ヨンジュ
ンブームの担い手であるだろう。そしてHPを見る限り、現実の政治や社会の問題に対しては、
これまではどちらかと言えば関心はあまり高くない人たちが多いように見受けられる。これはこ
こに限った事ではなく、日本人の多くがいまなおそのような傾向をもっており、「政治」に対し
て政党で色分けしたりするような偏見を持っているのも事実である。主権者である自らが責任回
避をしているという自覚からはほど遠い。
だが、ぺ・ヨンジュン「家族」の女性たちに、ここで、いま少し別の角度から迫って見たい。
加納実紀代氏の『戦後史とジェンダー』
先ず、加納実紀代氏が述べる戦中を生き抜いた戦後の日本の女性たちについて触れておきたい。
彼女は、私と生年が同じである。名前に共通する二文字は、生年が「紀元二千六百年」であった
ことに因んでいるが、このことがまさにその時代を物語っている。彼女は1976年に在野の研究グ
ループ「女たちの現在(いま)を問う会」を結成し、15年戦争下の女性の状況を聞き取り調査で
もって辿り、『銃後史ノート』を作成している。それは、口寸の世代の戦争協力」を問う作業のま
4哨¥"¶-¶--¶7晶Ja-g4噪¥i"明瞭警a¶還¶習晶Js-aag¥かφ〒か"n警¶¶-¶¶・-a-M・φり+4や"警■¶¶¶-晶-一晶一晶晶s晶遍aa
とめであったが、以来彼女は精力的に、戦後の「母の世代」の調査を通じて、今日の視点からそ
-s-還+ゆりゃk
の問題性を問い直してきた。この『戦後史とジェンダー』の「あとがき」で、著者は、『銃後史
ノート』の創刊の辞のなかで「母たちはたしかに戦争の被害者であった。しかし同時に侵略戦争
を支える¨銃後¨の女たちでもあった。何故にそうでしかありえなかったのか」と、問う。
--■■ややが+4噪〒f-a-¶s-aJag+ゆ4ky¶-■¶---a■-トゆりか噪りf¥¶-■¶--Js-り噪噪哨み哨¶-¶■--salaφが+4¥fy
戦争の被害者が同時に加害者でもあることは、古今東西、古くて新しい、今も変わらぬ事実で
ある。ベラルーシのジャーナリスト、スベトラーナ・アレクシェヴィッチ氏の『アフガン帰還兵
の証言』『チェルノブイリの祈り』ほかの一連の仕事もその事実を明らかにしている≒加納氏
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志水:ハンナ・アーレントの政治哲学(10)−2
『冬ソナ』、『ヨン様』ブームのアーレント的・フェミニズム的解釈
と同じく彼女もまた、自らは決して歴史に名を残さない無名の「小さき人々」のつぶやきやため
息を聞き取り、書き残してきた。日本では2005年度の山川菊栄賞を受賞した石田米子氏の中国山
西省の聞き取り調査の記録『黄土の村の性暴力8』かおる。また先に紹介したバッファロー大学
のレクチャーで紹介した『ジェンダーの視点から見る日韓近現代史』が4年の歳月を経て10月末
に刊行されたばかりである。これも同じ視点に立つ鈴木裕子氏を中心に、’「女性・戦争・人権」
学会のプロジェクトとして韓国の「戦争と女性人権センター」との共同編纂で作られてきた9。
このようなフェミズムの視点に立って、これまでの公的歴史の闇に置き去りにされてきた人々
の生きた記録が残されるようになったのは、フェミニズム思想の世界的な広がりと定着を実感さ
せると言っていいだろう。特にいま、戦前を旁詰とさせるこの日本において、こうした作業がな
されることの重要さ、そして切実さを思わずにはいられない。だが命がけのこのような作業が、
果たしてどこまで、今を生きる戦後世代のぺ・ヨンジュンファンである「草の根の保守の人々」
のこころに届いているのであろう。戦後の「民主教育」の中で、戦中の日本軍による加害の事実
にきちんと向きあってこなかったことが、今日の日本社会の精神構造の空洞化に、如何に深刻な
影響を残しているかの事実を、私たちは思い知らされたばかりである。去年9月の衆議院解散総
選挙の結果は、政治的・社会的に無答責できた戦後60年の日本のツケが赤裸々に示された結果で
あった。与党圧勝で、いよいよ改憲に向けての国民投票の手続きに踏み切ったのである10。
さて、この『戦後史とジェンダー』は、加納氏が仲間とやってきたこれまでの仕事の集大成の
作業であり、改めてその原点を掘り起こしてその意義を確認するとともに、さらに2005年に書か
れた「「つくる会」歴史教科書とジェンダー」に至るまで、その後の日本のフェミニズム思想の
進化発展の中で、日本の平和運動の一翼を担ってきた者として「あるべきフェミニズム」につい
・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・-・・・・==・・========---=--=-=--=-&=--=&&=---i&遍&仙遍aa遍仙晶&-■sa晶遅配遅as一遍--¶a-¶
て模索してきた過程を明らかにするものである。
90年代のアメリカNOW(「全米女性機構」-
--------Jムムームムiaggiguggua■■aa----------¶y-yyswg4哨+4+みがトゆも峙ゆりやゆゆ&ゆー------a■as■¶■¶-・-習み軸哨哨もやかもりみりゅ
この2月4日に創設者であるベテイー・フリーダンが、その85年の生涯を閉じたが)−の「女性
兵士の戦闘参加要請」に衝撃を受けて日本のフェミニストの間で起こった論争は、21世紀の今日
の「イラク戦争」をめぐる問題に続いている。今、フェミニズムにとって、このような国家や階
級、それらが構成する構造的な暴力にどのように対処していくかが大きな課題であるが、加納氏
がこの著作の中で述べている草の根の保守の人々の蒙った被害・加害の事実か、改めて身近な問
題として迫ってくる。特に、「国家」が絶対的な権限で総動員をかけるために、個々人の善意で
すら国家事業の一端に組み込み、利用していく非情さを明らかにした「大阪国防婦人会」(半年
後には「大日本国防婦人会」と名を改め、最大かつもっとも活動的な戦争協プJ団体となる)の経
緯を聞き取り調査してまとめた「「これからの戦争」と女性」の章は、圧巻である。大阪港第二
突堤から戦地に送られる兵士たちが真冬の岸壁で乗船待ちする姿を見た近くに住む主婦たちが
「せめて熱いお茶のいっぱいでも…」と奉仕活動を始めたのがその発端であった。「しかし、大陸
への侵略拡大がはかられるこの時期、女たちの兵士への思い、民衆同士の連帯感は、ただちに軍
の利用するところとなる。…11」。この渦中にあって厭戦を述べる兵士に「お国のために頑張っ
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追手門学院大学人問学部紀要 第20号
てきて!」と叱咤激励した女性か、戦後、非戦に向けて中心的な活動をしていくことになった心
中を、加納は思いやっている。
ところで、この世代の女性の多くが、いま「冬ソナ」「ヨン様」の熱烈なファンなのである。
あっという間に日韓の間に大衆文化交流の太い橋が架橋されたが、彼女たちの非戦への思いと行
動が、若い世代と共感・共振しつつ、いま隣国の「微笑みの貴公子」に向けられているのである。
この世代の女性たちの積極的な意思表示には、決して侮れないものかおる。「冬のソナタ」を入
り口に、その後ペヨンジュンが出演したドラマが日本でも放映され、またDVDが発売されて、
俳優としての彼が、常にファンのほうを向き、ファンの愛をそのエネルギーとして精進を続ける
姿に、彼女たちは自らの生きがい、未来をそこに見出しているのである。そこには日本の戦後政
治に対する強い不信感、時に憤りが見られる。
81歳になる反戦歌人の深山あき氏は、最近次のよ
うに詠んでいる。
「君が代」を歌う声量を測るという 戦わされしわれら 曖れて声出ぬ
私は加納氏の「非戦に裏打ちされた日本的なあるべきフェミニズム」の方向を、期待を持って
この「ヨン様」ブームの中に見ている一人であることを先に断っておかねばならない。
バーグマン氏の見解
ところで、バッファロー大学のアジア研究所教授で、今回の講演のコーデデイネートをしてく
ださったバーグマン(ThomasBurkman)氏と、哲学部教授のチョー・カー・キュング■
Kah
(Cho
Kyung)氏の立場は、日本という国や日本人への関係性、その距離において、対照的であ
る。
バーグマン氏は、かつて日本に3年間滞在し、関西学院大学や神戸女学院大学で教鞭をとって
いたことかおる。日本の文化に惹かれ、日本人にも友人の多い、どちらかと言えば日本品贋であ
る。その彼は、アメリカでも大きな話題になっている日本の「韓流ブーム」と呼称される大衆文
化交流に大変興味を持っていて、今回の講演のコーディネートを引き受けてくださったのだが、
彼は世界平和の実現のために、「赦し(forgiveness)」をもっとも重要なコンセプトとしている。
それゆえに、今回のブームについては、ぺ・ヨンジュンを受け入れた日本女性の受容性やその包
容力に注目し、平和のためには、それこそが今回のキーワードであると考えているのである。
他方、そのとき司会をしてくださった哲学部のチョウ(Cho
Kah
Kyung)教授は、韓国出身
で、日本が朝鮮半島を強制占領していた時代、中学まで日本語教育を受け、朝鮮戦争の激戦の最
中を生き抜いて、戦後、旧西ドイツが募集した国費留学生の東洋人第1号としてハイデルベルク
大学でカール・レーヴィット教授の下で博士号を取得した方である。東洋人として中国の古典や
日本思想にも造詣が深く、またハイデガーに直接教えを受け、現象学の大家としてヨーロッパは
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志水:ハンナ・アーレントの政治哲学(10)−2
『冬ソナ』、『ヨン様』ブームのアーレント的・フェミニズム的解釈
もとより日本でもよく知られている。
1990年に阪大の客員教授として来日された時の出会いから、
氏がドイツのアルバ一社から出された著書を、法政大学出版局から『意識と自然一現象学的東西
のかけはし』という題名で出版することができた。
1994年のことである。チョウ教授は、なぜ日
本ではぺ・ヨンジュンのような若者がいないのかについて、日韓のその思想的背景を比較しつつ。
自身のこれまでの思想的な蓄積を元にしながらコメントされた12.
さて、次に私は、戦後60年の節目の年に、このような文化現象に触発されて書かれたと思われ
る日本で出版された2冊の書物を取り上げてみたい。一冊は『心で知る、韓国』(小倉紀蔵著
岩波書店 2005年)であり、もう一冊は『国家の品格』(藤原正彦著 新潮新書2005年)である。
『心で知る、韓国』のスタンスに思う
「わざとらしいのだ。そんな中学生新聞の社説や学級委員の作文みたいなことを、わざわざあなたにいっ
てもらう必要はない。そういう言葉を発することによって、あなたはあなたの知性と品性とを著しく傷つ
けることになる。そう、私なら思うのである。 しかし『冬ソナ』ファンはそうではない。この言葉に知性
と品性を感じる13」
この一文に触れたとき、私は1959年生まれのこの著者の世代や戦後生まれの全共闘世代の哲学
者か、まさしく日本の哲学の知性や品格を奪う、いわば張本人であったことをおもわずにはいら
れなかった。この著者の世代に、1956年生まれの高橋哲哉氏がいる。彼は、斜に構えるこれらの
哲学仲間からのバッシングにあいながらも、日本人の良識を内外に明らかにし続けてきた数少な
い目本の知識人の一人である。日本の戦争責任、「慰安婦問題」、憲法9条の問題、最近では「靖
国問題」まで、市民集会で語り、行動する世界的な哲学者である。日韓のみならずアジア女性で、
政治的・社会的な問題に関心を持ち、日本とアジアの関係において日本の政治責任を感じている
意識ある人たちや市民運動の担い手で、彼の名前を知らない人は先ずいないといってもいいだろ
う。彼の発言は常に真摯に発せられ、それに耳を傾ける人々の心に届いていた。
前回に紹介した韓国のユン・ジョンオク氏(尹貞玉)が、彼の書いた文章に対して、「心に染
み入る文章」と絶賛されたことかおる14。そのメンタリティが日本で見失われたかに見えたとき
に、値i優ぺ・ヨンジュンが人々の前に登場したのであろうか。高橋哲哉氏を知るものとしては、
同世代のポスト・モダンを言い立てた日本の知識人の無責任にも一言あってしかるべきではなかっ
たかと、この文章に引っかかったのである。
ユン・ジョンオク氏と同世代のチョウ教授が、若い戦後世代の高橋哲哉氏に日本の良心・良識
をみているのは故の無いことではない。歴史的責任問題を、単に国家間の政治問題と見倣して責
任回避し、あろうことかそのことすら自覚していない世代にあって、彼の真摯な発言は、韓国か
らも、その他のアジアの国々からも注目されているのである。それがもしぺ・ヨンジュンファン
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追手門学院大学人同学部紀要 第20号
の「家族」に共有されるなら、この国の政治を、ひいては、ぺ・ヨンジュンの願う世界平和に、
貢献できるはずではないか。だが、ことはそう簡単ではない。
ここで、私はもう一冊、いまベストセラーになっている藤原正彦氏の『匡│家の品格』(新潮社
文庫 2005)に触れておかねばならない。
「国家の品格」とは
著者は数学者で、作家の新田次郎と藤原ていを両親にもつ。私とほぼ同世代−1943年 旧満州
生まれの彼は、この著書の冒頭で、日本の荒廃した現状を憂いつつ、「今日本は荒廃していると
よく言われますが、世界中の先進国はみな似たような状況です」と述べ、核兵器保有を例に挙げ
て、アメリカやロシアなど核保有国の自国中心主義の論理が、北朝鮮などの核カードを持つ国に
「ごね得」させる構図を暴いてみせる。そして「家庭崩壊や教育崩壊も先進国共通の現象です。
教育崩壊による学力の低下、子どもたちの読書離れ、少年少女の非行はどの先進国でも問題になっ
ています。世界中の先進国で同じ問題か生じて、同じように困っているのに、みんなどうしてよ
いかわからない15」と述べて、「この荒廃の要因はいったい何なのでしょうか」と問いかけるの
である。そしてこれを「西欧的な論理、近代合理精神の破綻にほかなりません」と断言し、論理
だけでは世界が破綻するとして、日本の荒廃は、戦後の日本が、憲法や教育基本法で、自由と平
a-i㎜㎜㎜㎜㎜㎜㎜㎜㎜㎜㎜㎜㎜㎜■㎜■■㎜■■㎜■■■■■■■■■■■■■■■ ■
等
民主主義を取
、
日本古来の伝統である「情緒」と「形」を失わせ
ってきたことが
経済至上
、
、
-s-sa-s-aagaか噪4H4¶¥f¶¶¶¶■s¶-a--ggasaagiaggiaiiaiaaa-ム■㎜㎜㎜㎜㎜㎜■■■■・■■■・・・・・・・・■・・・・■■・・■■
主義になって、国家の品格が失われてしまったと嘆く。民主主義の根幹である国民主権は、国民
-+噪44噪4¶4¶〃閥
が成熟していなければ衆愚政治に堕すことを、かれは「民主国家がヒトラーを生んだ」と述べる
ことにおいて解説し、今の日本政府を支えるポピュリスムの危険性を暗にけん制している。日本
社会の現状を憂い、批判的に捉える彼の視点に、私はある危うさを感じ取った。これは戦後世代
のヨン様ファンに、受け入れられようとする意図的な目論見があるのではないかと勘ぐってしま
がかφ4・4-¶警¶-¶¶-Ⅷs-ggaゆ¥か峠4"謬¶¶甦¶-
う側面があったからである。彼がここで理想の日本人像として述べているのは「もののあわれと
か美的感受性とか側隠の情、こういうものがあるかどうかで、その人の総合判断力はまったく違っ
てくる。人間の器が違ってくるのです16」といい、これを「武士道精神」と説明しているが、金
銭に執着せず、読書をよくする教養人で、これらを兼ね備えた理想の男性像として、ぺ・ヨンジュ
ンが労剪としてくるのであり、そのような彼に惜しみない愛情と声援を送る日本女性のハートに
訴えるものかおるからである。そういう意味では、このような日本の「ヨン様」現象が、氏をし
てこれを書かしめた一因であったかもしれない。これは私の単なる憶測にすぎないか、同世代と
して、今の日本の現状に、責任を感じ、いたたまれない思いを抱く心中はよく理解できるからで
ある。
だか、彼は、伝統を重んじるということにおいて、「千五百年以上も続いた天皇の万世一系を、
-J=&㎜㎜㎜■㎜
・・・・・・===----〒¶-謬謬¶■一遍ss遍Ψ441"n警f■晶遍s晶ゆかりー¶警¶■¶
男女平等等という理屈で捨てようとする軽挙は
イギリス人には想像もできないのですn」と述
、
ゆりやf¶■-¶---aか¥≒fa--■-agaφ¥ky¶-a--aがか噪哨¶¶■-----s¥噪¥¶flys-aggφ4〒f¶--¶-ssふ峠4・f¶----gaゆ4哨f¶----
べたり、日本の戦後憲法を「押し付けられた」として教育基本法ともども「パーク条約」に違反
48−
志水:ハンナ・アーレントの政治哲学(10)−2
『冬ソナムrヨン様』ブームのアーレント的・フェミニズム的解釈
しているともいう18.またヽ日本政府が戦後一貫してアメリカに追随してきたことを厳しく批判
しヽ日本こそがリーダーシップをとりうることを強調して、次のように述べている。「私は日露
戦争および日米戦争は、あの期に及んでは独立と生存のため致し方なかったと思っております。
あのような、戦争の他に為す術のない状況を作ったのがいけなかったのです。しかし日中戦争は
別です。策士スターリンと毛沢東に誘い込まれたとはいえ、当時の中国に侵略していくというの
は、まったく無意味な「弱い者いじめ」でした。武士道精神に照らし合わせれば、これはもっと
も恥ずかしい、卑怯なことです勺としている。そして、日中15年戦争を引き起こした、無謀な
「恥ずべき関東軍の暴走」を厳しく批判しつつ、天皇や時の政府がそれに反対したことを殊更に
付け加えて、責任を曖昧にする一方で、なぜか日本の「韓国併合」についてはまったく触れてい
ない。アジアのなかで日本が迷惑をかけた国で取り上げられていないのは韓国だけではないが、
隣国としてその歴史的責任問題をもっとも負わねばならない国に言及していないのは、どうみて
も不自然である。
日本に強制占領されていた朝鮮半島の人々が、日本の敗戦後、東西の冷戦構造下にあって、同
胞相食む過酷な戦争を強いられ、60年以上経った今もなお統一国家として独立することが果たせ
ない状況にあることは、決して日本に無縁のことではない。日本は逆に隣国の戦争によって、戦
後の焼け跡から経済復興を遂げることになったのである。 ドイツのように、敗戦国日本が東西に
二分されていたら一体どのような戦後になっていたであろうか。そのように想像することから隣
国の不幸を考える視点が、戦後教育のなかで完全に抜け落ちてきたのである。
藤原氏は、そんなことには一向にお構いなしに、日本が世界で尊敬されるためには、「情緒」
と「形」を重んじることが必要と説き、民主主義は成熟した国民の主権を原則とするものだが、
国民は決して成熟しないから、必ずそれは衆愚成治に陥るのであり、日本にはエリートが必要で
¥φ4qがーかq4i-かりりか44φやみ414哨哨か哨+もー〃哨W--WIW〃〃-〃--■Wあるともいう。また、自由の履告違え、平等のまやかしを、ロックを槍玉に挙げ、具体例に即し
ながら説く彼自身のなかには、格差ある社会の容認、差別はあって当然との居直りかおる。した
がって丸山真男などか民主主義について学びたいと市井の人々に請われて講義を行なった「三島
庶民大学20」などの戦後の市民社会台頭の萌芽や、ベアテ・シロタ・ゴードン氏が日本女性の置
かれていたその悲惨な無権利状態を知って、憲法草案に盛り込んだ女性の権利や自立の保障など
は、まったく問題外なのであろう。現今の世界情勢において、「普通」の国になることの危険性
を承知しつつ、何故、『国家の品格』において、非戦を打ち出していくことをしようとしないの
か。いま一番進んだ条文といわれる憲法9条の先進性をアピールし、平和を率先していこうとし
ないのであろうか?彼は「これまでの戦争を引き起こしてきたのは常に国民であった」と断言し、
アメリカのイラク「戦争」の支持率の開戦時(76%)と戦況が悪化した2年半後(39%)を比較
して挙げているが、どのように言おうと、政治責任を負うブッシュ大統領を誰も免責することは
ありえないだろう。まして、国民総黄晦で済ませられることではない。彼の持論の背景には、牢
固とした天皇無答責・国体護持かおる。このことは、彼の戦後の日本国憲法否定と無関係ではな
−49−
追手門学院大学人間学部紀要 第20号
いのである。天皇制国家、君主国家に、その品格を見ようとする意図か露骨に見えてくる。これ
は日本の外ではまったく通用しないすり替えの屁理屈である。
むしろ逆である。この天皇の戦争責任回避こそが、戦後日本の品格を損なったのではなかった
か。 9条保持を高らかに謳うことによって、非武装国家として迷惑をかけた国々に真摯に謝罪を
行ない團際的に平和貢献をしていれば、戦後のドイツと同じように匡1際社会で認められたであろ
うことは間違いない。しかしながら、そのような戦後のドイツに対する評価も、ここではおそら
く意図的に省かれているのである。国家が責任をとろうとしない戦争責任の問題を、市民が代わっ
て法廷を開き、判決を下した2000年12月の「女性国際戦犯法廷」と、2001年12月の「パーク最終
判決」は、品格ある日本の市民を世界に知らしめたのをご存知だろうか。故松井やよりが中心に
なって、加害国の女性が、被害国の女性と一緒になって、世界の国際法の権威ある人々の協力を
得て開催することができた「女性mm戦犯法廷」は、世界で初めて自国の戦争責任を追及したフェ
ミニストたちの画期的な運動の成果であったといえる。アーレントがアイヒマン裁判で、ユダヤ
同胞のためのレポートを書かなかったことも、決して自虐的であったからではなく、自民族の犯
した罪は、他民族の犯したそれよりもずっと悲しいことだからである。帰属意識を持つ者が祖国
に対して持つ思いがそこに共有されているのである。
藤原氏の語り口は、かつて高橋哲哉氏と論争した加藤典洋氏が『敗戦後論』で述べたそれに酷
似する。今、藤原氏のこの本がベストセラーとしてもてはやされる事実に、改憲を現実的なもの
にしようとする意図が見え隠れするように思うのは私だけではあるまい。藤原氏がそれを任じて
この著作を刊行したかどうかは知る由もないが、日本のエリートを任じ、一見その責任を取ろう
とする学者・知識人には、容易に受け入れられそうにもみえる。特にフェミニズムが嫌いな、あ
るいはそれなりに理解かおる、わかっていると任じている男権主義者は、女が世界で脚光を浴び
ることに不快感を示す。「たかだか女のやること」と高を括って見下していた「法廷」に、世界
のメデイアが取材にやってきて、「天皇有罪の判決」が世界に公表されると、公共放送であるN
HKの番組内容に政府高官が介入し、圧力をかけて内容を改ざんしてしまい、日本人の知る権利
を奪うという暴挙か行なわれた。番組担当のデスクがこのことを内部告発しても埓が明かず、そ
のことをスクープで報じた新聞社や記事を書いた記者に白を切りとおして圧力をかけ、その後も
一方的にもっぱら政府見解を報じたのがNHKであった。公共放送ならぬ、国営放送である実態
があからさまにされて、受信料不払い運動が起こったことは周知のとおりである。故松井やより
が立ち上げ、「法廷」を主催したNGOのVAWW−NET Japanが、松井の遺志を引き継い
でNHKを相手取って裁判闘争を継続しているが、この国ではなお、天皇の戦争責任を問うこと
はタブーなのである。民主主義と天皇制が並存することが可能であるこの国で、何の疑いもなく
夫を「主人」と呼んで憚らない女性たちに、この事実はどのように受け入れられるのであろう。
果たしてぺ・ヨンジュンの「日本家族」にもそのような女性ファンか多いことは推測される。ま
だまだ「主人」ということばは、夫に対する尊敬語として受け入れられているのである。だが、
50−
志水:ハンナ・アーレントの政治哲学(10)−2
『冬ソナム『ヨン様』ブームのアーレント的・フェミニズム的解釈
彼女たちには、このような「法廷」の事実すら知らされていない可能性がある。藤原氏は明らか
に、この並存にメスを入れ、戦後の民主憲法を否定したのである。
HPはアーレントのいう「政治的世界」
私はしかし、前回も紹介した公式HPで交わされる意見交換は、貴重な自己研鍵、討論の場だ
と思っている。これまでに、すでに何度もそのような議論の場に立ち会ってきた。例えば「『四
月の雪』つて本当に名作なの?私にはそうは思えなかった。ここではこんなこと書いてはいけな
いのかな。」というようなスレに対して、100件以上ものレスが返され、そこにそれぞれのいろん
な独自の意見が寄せられている。私も参加して意見を述べた一人であるが、私はここでなんら説
得するような意図はない。テーマそのものが個人の趣味にも関わることで当然だが、いずれ前回
例示した竹島(独島)問題のような政治的なテーマをスレで立ち上げることになるかもしれない。
だが、そのようなスレが載らざるをえないようになったとき、このHPが閉鎖されるというよう
なことにはならず、むしろ、意見交換の場として、より一肩重要になってくるであろうという予
想はつく。それは、この日本のHPが韓国のそれ、中国のそれにつながり、いろんな意見交換の
場になっているからである。英語、韓国語、中国語に堪能な人が、それぞれにその橋渡しをして
いる。とりわけ在日コリアンのぺ・ヨンジュン家族の働きには目を見張るものかおる。いまぺ・
ヨンジュン家族は、ネットを通じて、ますますその世界を広げつつある。国境を越えたアジアの
家族が、彼が平和を希求するその思いを共有しているからである。
他方このように国境を越えて広がる「ペヨンジュン家族の絆」は、日本人の家族そのものの意
識や家族概念をも変えつつある。改憲を目論む日本政府が時代錯誤的に押し付ける家族像に、ど
こかで違和感をもち、おかしいのではないかと感じている人々が意見を出すようになってきてい
るからである。そしてもちろんこのことは、そこに自分だちか意見を述べる場かおり、発信でき
るツールやそれを操作できる仲間がいるからこそできることでもある。そこで共有されているの
は、私流にいえば、カントのいうところの「共通感官」であり、それはアーレントがカントから
受け継いだ、それに基づく「社交性」そのものに根ざすものであるといいうるだろう。
藤原氏は今日の世界の先進国に共通するさまざまな問題の根底に、西欧の合理主義的思考の行
き詰まりが原因としてあり、論理だけに走った結果だと断言しているが、論理的に解明すること
の限界を指摘したのはカントであると言っていいだろう。「純粋理性批判」の序論の冒頭で、彼
は「理性の宿命」について述べている。それをさらにラディカルに展開したのはアーレントであっ
たと私は考えている。まやかしの論理で現実に国民を扇動し、旗を振ってきたのは、政府高官で
あり、財界人であり、知識人である。藤原氏はどこの視点に立って、いったい誰に向かってこの
ことを言わんとしたのであろう。やはりペヨンジュン家族をターゲットにしていたのであろうか。
カントが純粋理性批判から実践理性批判に移行するときに、実践理性優位の立場に立つだのは、
人間の自由意志、自由の尊厳に重きをおいたからである。「人間の越権に道を開いたカント」と
51−
追手門学院大学人間学部紀要 第20号
批判されるが、彼は「有限な理性的存在者」である人間の、欲望に翻弄される限界を自覚しつつ、
その限界に挑戦して徳に生きることに人間の生きる意味を問い、真の自由実現を、「この世界に
道徳的世界を実現すること」だとしたのである。彼がこの世界における最終目的を「道徳的文化
の実現」としたことを、今、この時代に、アメリカが支配する危機的な戦争状態の世界の中でも
う一度問い直してみると、ぺ・ヨンジュンが体現していこうとしているのは哲学する者のそれで
あり、その実践に共感し、応援していくのが彼が家族と呼ぶファンではないだろうかと思えてく
る。先に述べたように、彼が「冬ソナ」以前に出演したドラマが、ファンの要望にこたえてDV
Dやビデオに作られ販売されて、過去のぺ・ヨンジュンが見られるが、1999年の『愛の群像』が
今の彼の生き方を決定づけたというのが大方の見方であり、そのことは彼自身が認めていること
である。彼の成長の軌跡を辿ることにおいて、ファンはさらに彼の作品選びの確かさを確認する。
そしてそこに彼を育んだ韓国の文化的背景かおることを知り、それを知った日本やアジア諸国の
女性ファンだちかそのような韓国文化に魅せられ、その地を訪れ、歴史や韓国語を学ぼうとする
のである。確かに経済的に格差が小さくなったということがひとつの理由とされているが、それ
以上にインターネットの普及がこのことを可能にしたと考えられる。思いを共有していく、この
ことは極く自然なことではないだろうか。まして、今の世界や日本に失われたものをそこに見出
していく。私はこのような女性たちの自然な感覚を果たして誰がどのように断ち切ることができ
るのだろうかと考える。いまここで問題となるのは、そこから先のことである。
市民が主導権を握ることを阻止するもの
注目されるスターの足を引っ張る輩は多い。HPをみていても、まだまだメデイアに翻弄され
るファンが多い。巧みに罠に落とされる可能性もある。共謀罪や、憲法改変問題は、もっとも危
険な政治的罠と言っていいだろう。だか、このHPかおる限り、必ず複数の誰かがレスを書き込
んでいる。ここは他者の意見を聞くことのできる開かれた場なのである。
アーレントは『全体主義の起原』のなかで、大衆社会の批判をしている。藤原氏の言うように、
ドイツの大衆がヒトラーを選んだのは事実である。だが、ドイツ国民は、ヤスパースがハイデル
ベルク大学に復職して最初に行った『ドイツ人の罪について』の講演を聞き、国民の一人として、
自らの責任において何を負うべきかを知って、その責任を負うことを決意していった。また旧西
ドイツは、戦争の過ちを、国家として謝罪し、天文学的な額にのぼる賠償責任を果たしてきたの
である。有名な「歴史家論争」は、市民を巻き込んで拡大していった。 ドイツは敗戦から学んだ
ことを、戦後にきちんと国家として償ってきて、台頭するネオナチに、市民自らが抗議に立ち上
がって行動する品格をもった国家であることについて、藤原氏はなぜここで述べようとしないの
か。
ヒトラーの時代にそのような選択をせざるを得なかったドイツ国民の危うさが、同じ敗戦国の
今の日本にあるのは確かである。その認識においては私も同じだが、見解はまったく分かれる。
−52−
志水:ハンナ・アーレントの政治哲学(10)−2
『冬ソナ』、『ヨン様Jブームのアーレント的・フェミニズム的解釈
アーレントが二度と起こしてはならないという強い倫理的な決意でもって「悪夢のような現実」
である『全体主義の起原』を合理的に解明しようとしたことは、結果的には論理的に成功したと
はいえなかった。のちに彼女が「アイヒマン裁判」を傍聴し、雑誌に載せた記事にユダヤ人のだ
めの報告をしなかったことで轟々たる非難を同胞から受けたことによって、彼女がそこから見出
した答え、つまり、このような「悪夢のような現実」を将来回避するためには、自立した個々の
市民が政治参加する以外にはないということであった。まさにアクションを起こすこと、実践・
実行であった。彼女が薦めるのは、個々人が自分の独断にとらわれず、自由に意見を出し合う場
を共有すること、そしてそこに集まる人と人との間に生まれる「世界」が公的な政治の場となる
ということであった。
自や£した一個人、つまり市民が、お互いに意見を持ち、複数の意見が交換される、そこにはい
ろんな対立する意見もあり、思いやりもある。複数の個々人が生きる仮想現実の世界が、いまイ
ンターネットを通じて開かれているのである。
必要なことは、情報を共有しあうことである。格差社会を肯定し、エリートを養成することの
大事さを説く前に、社会に居場所のない若者に、居場所を与えることが大事であろう。それには、
政府に戦争協力を止めさせ、そのことを要求していくアクションを起こしていく必要かおる。平
和のメッセージを届けてくれる隣国の「微笑みの貴公子」に、どのような行動で応えていけるの
か、バッファロー大学アジア研究所のバーグマン教授が述べた日本女性の評価が本物であるかど
うか、私自身がこのなかで、これから確かめていくつもりである。あるべきフェミニズムがいま
向かおうとしている方向は、ユジンの「つよさ」のところで触れたフェミニズム、岡野八代氏の
いうところの「繕いのフェミニズム勺ではなかろうかと思っている。そのテーマと、チョウ教
授の哲学については、次回に取り上げたい。
註
① Shimizu
Kiyoko, October
24・-25
Noted Feminest
Scholar from
Shimizu Kiyoko
is remembered
Prof. Kah
Cho
Ohtemon
Kyung
Gakuin
Japan
two presentations
of the Department
of Philosophy.
of war and military bases on women's
are co-sponsored by the Department
October
of Women's
24, she will lecture on
during
her attendance
over 90 countries.
Sonata," which
Some
and an activist on the
rights.
Her lectures at UB
"'Understandingbetween Koi・■ea
and ノapan through
Park
280. Shimizu's interest in this
at the International Interdisciplinary Congress
this past June in Seoul. This conclave attracted more
ists from
Arendt
human
than
2,300 women
sessions dealt with the Korean
has attracted devoted audiences in Hong
−53
by
of Feminist Studies at
Studies.
Popular Culture." The lecture will take place at 5:00 p.m. m
topic grew
she was hosted at UB
Professor
University in Osaka, she is a scholar of Hanna
issue of the impact
0n Monday,
to make
for her stirring talk 2001, when
Kong,
TV
Taiwan,
on Women
researchers and activlove drama,
"Winter
Japan, and other parts
追平門学院大学人間学部紀要 第20号
of
Asia.
In Japan,
women
from
ously
displayed
rushed
her
movie,
of
to study
presentation,
lationship
between
and
on
Hanna
Sonata"
Arendt,
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have
will address
and
Bae
long
Korea,
star, Bae
asks
why
become
Yong
Joon,
so
many
Japanese
have
so
engrossed
been
embraced
women,
in
the
who
drama
by
previ-
and
have
culture.
Shimizu
star
its male
Shimizu
in
the
Japan
the
and
to seniors.
little interest
to Korea
In
"Winter
teenagers
how
Korea. She
Yong
focus
Joon.
popular
culture
will focus
Her
of Shimizu's
on
analysis
is positively influencing
the
Korean
is informed
research
and
TV
by
thinking,
boom,
the
and
the re-
on
a
sequel
political philosophy
Arendt's
definition
of
friendship.
The
following
day,
Tuesday
”'Women
and the Japanese
Studies
Notes
② Thank
the
you
last
room
early
ment.
October
2005)
for inviting
me
evening
session
because
Especially,
from
the
constant
tive
discourse
of history
This
conference!
time
the idea
oppression/repression
male
to
class. If I
perspective.
25, Shimizu
Controversy."
to the
due
of my
1 liked
feminist
October
Textbook
that
For
l enjoyed
conflict with
stayed
there
the question
as in Japan
of "such
will speak
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the
longer,
with
the
asked
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subject,
Asian
l missed
for leaving
a
the
question/com-
teχtbook is to be dealt with
also in Korea
issues"(in
regard
Sorry
have
knowledge,
on
280. (From
a lot, though
seminar.
l could
concerning
women
writing/education)
at Noon
conference
graduate
to my
shameful
at Asia
event is 12:00-1:00 in Park
terms
to the
of the
Japanese
there
has
been
ulti'a conservamilitary
seχual
slaves.
Thus,
I was
textbooks
and
l
both
generalized,
would
like
happy
to hear
in Korea
the
you
and
something
Japan.
movement
to deliver
from
my
optimistic
So
the
as well
as progressive
far as the issue is serious
teχtbook
appreciation
project
to Prof.
is more
Shimizu.
about
enough
than
Have
not
welcome
a good
③ 韓国公式HPからの翻訳で日本の公式HPにアップされていた内容
④ 『キネマ旬報』2005年10月上旬特別号、『週刊朝日』2006年1月6
・ 13新春合併号 ほか
⑤ 実際にはチュンサンは奇跡的に一命をとりとめるが完全な記憶喪失となり、母親の希望で、アメリカ生
まれのイ・ミニョンという別人として新しい記憶を植え込まれ、フランス留学中に出会ったチェリンの
恋人としてチェリンとともにソウルにやってくる。高校時代にチュンサンに失恋したチェリンは、ユジ
ンとサンヒョクたち旧友に彼を紹介して驚かせる。やがてユジンがミニョンといっしょに仕事をするこ
とを知ったチェリンは、ユジンにミニョンも奪われるのではないかと狼狽し、同じくこのことを知って
勣揺するサンヒョクともども二人の仲を裂こうと画策する中で、物語が展開していく
⑥ 兄 シャンピエール、弟リュック、ベルギー南部のスランで生まれ育つ。そこは戦前から鉄鋼業の盛ん
な有数の工業都市だったが、時代の波に翻弄され、まちは変貌していく。その変貌を、70年以降追い込
まれていく鉄鋼労働者側の視点で見つめ、最初はドキュメンタリーフィルムを制作、その後映両を制作
する。『ロゼッタ』(1999年)『ある子ども』(2005年)で、カンヌ映画祭のグランプリを獲得。『ある了・
ども』のプロモーションで2005年11月に来日する。社会に居場所のないこどもたちの姿を、子どもの目
線で温かく描いた。彼らのメッセージは、日本の良識ある大人のみならず若者たちにも多くのヒントを
残していった。
⑦ ベラルーシ共和国ミンスク在住の作家、1948年生、小さき人々の傍らで、そのつぶやきやため息を聞き
取って記録してきた。 著作に『戦争は女の顔をしていない』(1985)『it後の生き証人』(1985)(邦訳
「ボタン穴から見た戦争」 群像社)『アフガン帰還兵の証言』(1989)(日本経済新聞社)『死に魅せら
れた人びと』(1993)「チェルノブイリの祈り」(1997)(邦訳 岩波書店)
⑧ 『黄土の村の性暴力大娘たちの戦争は終わらない』創上社 2004年
著者は岡山大学名誉教授。還暦を過ぎてから中国の現地調査に入り、毎年調査を続けてきている。聞
き取り調査をする中で、人々の意識か確実に変化していく有様を丁寧に記録、日本政府に賠償請求裁判
−54
the question
of
to be simplified
and
evening!
fruitful.
志水:ハンナ・アーレントの政治哲学(10)−2
『冬ソナ』、『ヨン様』ブームのアーレント的・フェミニズム的解釈
を起こした山西省の原告団を支援している。
⑨ 『ジェンダーの視点からみる日韓近現代史』日韓「女性」共同歴史教材編纂委員会編 梨の木舎 2005
年)4年の歳月をかけて日刊の女性たちか初めてともに作った近現代史書。日韓同時に10月末に刊行。
韓国では記者会見を行ない、テレビ取材もあって、多くの新聞に大きく記事が掲載された。
⑩ シャン・ユンカーマン監督が自らインタビューし、制作した『映画 日本国憲法』のなかで、インタビュ
アーとして登場する12人の発言に耳を傾ければ、戦後の日本の軌跡が自ずと見えてくる。
a. 日高六郎−「憲法¨改正¨問題を岡内問題にしちゃダメですよ。国際問題ですから」
b.
C.ダグラス・スミスー「押しつけ憲法だから問題なのではありません。すべてのいい憲法は、たいて
い民衆が政府に押しつけたものです」
c . ジョン・タワー−「すべての戦争は自衛の名の下で行なわれています」
d。ペアテ・シロタ・ゴードンー「平和がいちばん、今世界でいちばん大きい重要な問題ですから、日本
がそういう指導者になれば、素晴らしいことになると思います」
e. チャルマーズ・ジョンソンー「武力行使の放棄を誓った第9条こそが、日本のアジア諸国に対する戦
後謝罪だったのです。第9条の放棄は謝罪を放棄することです」
f.ミシェル・キーロ ー「自衛隊のイラク駐留は開際法違反だと思います」
g.ジョゼーフ・サマーハー「憲法については何よりもまず、日本の近隣諸国に問うべきでしょう」
h.巾恵秀(シン・ヘス)−「軍隊と女性の人権揉爛というのは密接に結びついています」
i .韓洪九(ハン・ホング)−「韓国と日本の若い世代が、平和的な感受性を一緒に育てていくことか大
事だと思います」
j .姜萬古(カン・マンギル)−「21世紀の東アジアではなぜ東アジアの人々の力で、自分たちの平和を
維持できないのだろうか。なぜ、海の向うの米軍がこちらにこなければ平和が維持されないのか」
k.ノーム・チョムスキー− 「もし日本がアメリカの体制に加わるなら、これは20世紀への逆戻りどこ
ろか野蛮時代への逆戻りでしょう」
1.乳忠義(バン・チュンイ)−「憲法第9条はまるで、神が私たち人類に贈ってくれた宝物のようです」
(SIGL0 2005年制作 『映画日本国憲法』パンフレットより)
2005年度第79回キネマ旬報「文化映画ベスト・テン」第1位受賞、
2005年度日本映画ペンクラブ会員選出ベスト5「文化映画部門」第1位受賞)
⑨ 『戦後史とジェンダー』(インパクト出版会 2005年)p.309
⑩ 「目本における西洋哲学受容についての一考察」『メタフュシカ』28号 (大阪大学文学部 1997年)
⑩ 『心で知る、韓国J
P.9
⑩ 『ナショナル・ヒストリーを超えて』東京大学出版会 1998年
⑩ 『国家の品格J
p.19
⑩ 同上 p,16
⑥ 同上 p.171
⑩ 同上 p.85
⑩ 同上 p.120
⑩ 敗戦後問もない時期、三島市在住の学校の教師や、電気工、米屋など、庶民が自分たちでお金を出し合っ
て、神社の社務所の一室を借りて開いた。講師には丸山真男など、新進気鋭の若手研究者を呼び、民主
主義の世の中になるとはどういうことかを熱心に学んだ。丸山はこのときの庶民の熱意に、新しい口本
の手ごたえを感じたと後年語っている。
顛 岡野八代「繕いのフェミニズムへ」『現代思想』2005年9月号
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追手門学院大学人間学部紀要 第20号
「冬のソナタ」資料
あらすじ
世界的なピアニストでシングルマザーのカン・ミヒの一人息子であるカン・ジュンサン(チュンサン)
が、一枚の古い不完全な写真−そこには若い頃の母カン・ミヒと、キム・ジヌの二人が写っていたーを
手かかりに、自分の父親を求めてソウルからチュンチョンの高校の2年生のクラスに転校してくるとこ
ろから物語が始まる。彼はそこで運命の女性チョン・ユジンと出会う。一方、今は大学教授であるキム・
ジヌの一人息子キム・サンヒョクは、幼いころからユジンと兄妹のように育つが、ユジンに恋心を抱い
ていた。チュンサンは同じクラスのサンヒョクがキム・ジヌの息子であることに強い敵京心をもつ。チュ
ンサンは大学で講義をしているキム・ジヌの授業に出席、出題された問題の回答を求められてそれをユ
ニークな方法で解き、彼が高校生だと知ったキム・ジヌを驚かせる。そしてその才能に惚れたジヌは、
チュンサンにいっしょに勉強しないかと誘う。他方チュンサンは、酔っ払いに絡まれたユジンを助けた
ことで、「助けてもらった借りを返す」と言ったユジンを誘って授業をサボつてバスに乗り、湖に出か
ける。ここですっかり打ち解けた関係になった二人に恋が芽生える。二人は授業をサボつた罰として、
焼却炉の掃除を一ヶ月間しなければならないことになるか、二人の関係はクラス中の認めるところとなっ
た。一方サンヒョクは、チュンサンの行動に疑問を持ち、ある日彼の後をつけていったところ、彼が父
の研究室で、楽しそうに数学の勉強をするのを目撃する。ショックを受けた彼は、日ごろのチュンサン
の行動に業を煮やしていたことから、翌日放送部の部屋で、自分への反感から嫌がらせをしているのだ
ろうと彼を問い詰め、ユジンもそのために利用したのだろうとなじる。「そうだ」と答えるチュンサン
の言葉をドアの外で聞いたユジンは、チュンサンの頬を打つ。ニヒ曜出、こ映画を見に行く約東は反古にな
り、放送部の山小屋での一一泊旅行にユジンは参加する。その日、集合時間ぎりぎりにチュンサンも参加
する。夜、チュンサンはユジンと二人になったところで、「あれは誤解だ」と本心を告げる。 しかしユ
ジンは受け入れない。「話を聞けよ」というチュンサンの言葉に反撥するユジンに、ついにチュンサン
も「そうだ、みんな嘘だ。これで気が済んだか。満足だろう」と応酬する。それを聞いたユジンは林の
中に走り去る。戻ってこないユジンをサンヒョクとチュンサンが探すが、結局、チュンサンがユジンを
見つける。チュンサンの「本気だった」という言葉をユジンは受け入れて、お互いの気持ちがここで確
かなものとなる。焼却場の掃除をやりながら、初雪が降ったらどうするのかと問うユジンに、「湖で誰
かとデートをしたい」とチュンサンがいう。その年の初雪の日、チュンサンはユジンにピアノで聞かせ
た「初めて」の曲を、自分でピアノを演奏して入れたテープをユジン宛に郵便局で出した後、湖に向か
う。ユジンも湖へ。湖で会ったふたりは存分に雪と戯れ、小さな雪だるまをそれぞれに作り、キスを交
わす。この日、ユジンの家の前でユジンはピンクのミトンをチュンサンに貸して、大晦日にデートをし
たときに返すこと、そしてそこで言いたいことがあると告げる。その目、食事に誘われてユジンの家に
上がったチュンサンは、ユジンの妹ヒジンが持ってきた彼女の自宅のアルバムに、チュンサンの持つ同
じ写真の完全版を発見、そこにはもう一人の男性と腕を組む母がいた。 3人が写ったこの写真を見て、
ユジンからその腕組みをしている相手かユジンの父親だといわれて、チュンサンは衝撃を受ける。彼は、
ユジンたちに黙って家を後にし、キム・ジヌの研究室に向かう。キム・ジヌから、二人が恋人同士だっ
たこと、そして自分は片思いだったと告げられたチュンサンは、絶望に陥る。自分の父親がユジンの父
親だと思い込んだチュンサンは、ユジンの元を離れてアメリカに行くことを決意する。大晦日に車で空
港に向かう途中、ミトンを返さなければと、母の止めるのを振り切って約束の場所に戻る途中、彼は交
通事故で意識不明の重傷を負う。ユジンたちのクラスでは、彼は交通事故で死んだと知らされ、サンヒョ
ク、チェリン、チンスク、ヨングク、そしてユジンの放送部の5人は、湖で彼のお葬式をする。
父と腕を組んでいたのがカン・ミヒであり、彼女が父と婚約していたこと、その彼女が父と母の結婚
した日に入水自殺を図ったことをユジンが知らされるのは、ずっと後になってからである。死んだチュ
ンサンと瓜二つの建築家のイ・ミニョン(記憶を失ったチュンサン)が、チェリンの恋人として10年後
に建築デザイナーのユジンの前に現れ、いっしょに仕事をすることになった。そのときユジンはすでに
サンヒョクと婚約していた。紆余曲折を経て、再びイ・ミニョンがチュンサンその人であることか判明
するかヽ記憶を失ってしまっていたチュンサンは、結婚を目前にしていたユジンの幸せを願ってユジン
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志水:ハンナ・アーレントの政治哲学(10)−2
『冬ソナ』、『ヨン様』ブームのアーレント的・フェミニズム的解釈
の元を立ち去ろうとする。それを知ったユジンが空港に向かう彼を追って道路に飛び出しトラックに牒
かれそうになって、それを助けようとしたチュンザンは二度目の交通事故に迎う。ユジンの必死の看病
の後、やがて自分かチュンサンであることの記憶を取り戻したチュンサンとユジンは結婚を約束する。
だが、昔彼女を捨てた恋人ヒョンスの子どもと信じてチュンサンを育ててきたカン・ミヒは、ユジッが
ヒョンスの実の娘だと知って強くそれに反対し、ユジンの母もまたチュンサンの母がカン・ミヒである
ことを知って二人の結婚に反対する。チュンサンはすべての記憶を取り戻したそのとき、高校時代に自
分が何故ユジンの元を去ろうとしたかを思い出す。それは自分とユジンが異母兄妹であると思い込んだ
からだった。やがて事実は、チュンサンが自分の子どもではないかと疑ったキム・ジヌの依頼したDN
A判定結果によって明かされる。チュンサンはキム・ジヌとカン・ミヒの子どもであった。だがこのこ
とをジヌから知らされたチュンサンは、他方で二度目の交通事故の後遺症が、生命に関わる危険なもの
であることを医者から知らされる。また父からチュンサンが自分の兄だという事実を知らされたサンヒョ
クは大きな衝撃を受ける。彼はチュンサンの事務所に彼を訪ね、ユジンとフランスにいっしょに留学し
たいから彼女を説得してほしいとチュンサンに言う。口ごもるチュンサンに、「お前が現れてからすべ
てのものがむちゃくちゃになった。すべてのものを元に戻せ」と言い置いて去る。チュンサンは、サン
ヒョクもまた事実を知って傷ついたことが分かり、フランスに留学するユジンに、事実を明らかにしな
いままサンヒョクといっしょに留学するようにという伝言を、自分からの最後の頼みだと告げる。驚き
否定するユジン。一方、妬ましさに感情的な発言をしたサンヒョクは、アメリカ出発前にチュンサンが
別れの挨拶にやってきて、ユジンを頼むと言って去ろうとしたとき、「もう兄妹でもないのだからユジ
ンの元に戻れよ」という。しかし、「ユジンのそばに永く居られるのは君だ」と言ってチュンサンは去っ
て行く。チュンサンの言葉が気にかかっていたサンヒョクは、自宅にかかってきた病院から父への電話
で、真実を知る。彼は直ぐにユジンのところに出かけ、彼女に真実を話す。空港に向かう……l人、だかニュー
ヨーク行きの便は出発した後だった。
フランス行きの準備をしているユジンのところに、サンヒョクがニューヨーク行きのチケットを届け
に来る。しかし結局彼女はフランスに向けて出発していった。
3年後、フランスから戻ったユジンは元の職場に復帰する。仕事仲間のチョンアが昔ユジンがデザイ
ンした「不可能な家」が建築雑誌に出ているのに驚き、盗作されたのではないかと告げる。それは、ユ
ジンが最後の別れの日に、チュンサンにその模型を手渡したものだった。
その建物か建つ鳥へ向かうユジン。そこには出来上がった「不可能な家」を見に来ていたチュンサン
がいた。病を克服したチュンサンは盲目になっていた。見えない糸で導かれていた二人は、ここでつい
に出会う。初恋がここに成就したのである。
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追手門学院大学人同学部紀要 第20号
ヽ人物相関図
(いずれもNHKソフトウェア制作(冬のソナタJDVD収録)より
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