羽前米沢藩上杉定勝の文事

Transcription

羽前米沢藩上杉定勝の文事
つながりも深く(﹃上杉家御年譜﹄)、定勝は飛鳥井雅章の
虎姫が鍋島光茂室、一二姫が吉良義央委であり、堂上等との
大守武田大謄大夫晴信の息女なり。人皇百八代後陽成
御母は四辻大納言藤原公遠卿の御女、御嫡母は甲州の
上杉弾正大弼藤原定勝公は、中納言景勝公の嫡男なり。
て誕生し玉ひ、乳名玉丸君と号し奉る。
歌門として、点も受けている(個人蔵﹃定勝詠/飛鳥井雅
本稿では、定勝の略伝(堂上との関係を中心に)と共に
院、慶長九年甲辰夏五月五日辰刻、羽州米沢の城に於
に、
Z
その日目 践
﹁上杉家御年譜﹂の内﹁定勝公御年譜﹂二十巻によれば、
一、定勝略伝
写之﹂とあり、その時代の写しか。
下孤本か)の紹介を試みたい。該室田巻末に﹁明和五年音月
﹃定勝詠/飛鳥井雅章卿様御点/黄葉集抜書﹄(個人蔵・天
男
ム
、
ノ
幸
︻資料紹介︼
羽前米沢藩上杉定勝の文事
はじめに
羽前米沢藩三代藩主上杉定勝(慶長九1正保二年、四二
歳)は、上杉謙信(享禄二一1天正六年、四十九歳)、景勝
(弘治元1元和九年、六十九歳)の跡を襲い、景勝の遺領
を継ぎ、大身の大名となっている。当然その姻戚関係も華
下
章卿様御点/黄葉集抜書﹄)。
麗である。母桂岩院が四辻公遠女で、室が鍋島勝茂女、女
日
とある(ルどを省き、句読点を付し、カタカナ文をひらか
等を贈進し給ふ。
呈品あり。勧修寺左少弁経広へ御越駕、太刀・馬代・時服
O 元和九年二月十三日、将軍秀忠に謁見あり、元服を命ぜ
天神に拝詣し給ひ、真珠院に御休あり、晩日に及んで御帰
施薬院へ使介を以て綿子・蝋燭等を贈進し給ふ。同日北野
駕、太万・馬代・蝋燭・綿子等を進呈し給ふ。飛鳥井雅胤・
O 元和九年六月十六日、勧修寺経広・三条公広両所へ御越
な文にし、多少手を加える)。
以下に﹃御年譜﹄より堂上との関係を中心に記事を拾い
られ、従四位下侍従に叙任され、弾正大弼定勝と称し給ふ。
館なり。
つつ紹介したい(要を取り引用)。
O 一元利九年二月二卜三日、京師へ御名代の使介平川善三郎
品あり。
O 元和九年六月二十一日、本願寺門跡より使節を以て贈進
O元和九年六月二十二日、御参内の御触書来たる。
O一川和九年六月二卜五日、公、御参内、御太刀・馬代献呈
鮮範・高津五郎兵衛貞恒を以て、御官位の賀儀を禁裏・院
あり。龍顔を拝し、天盃を頂戴し給ふ。女院御所へ諸将と
中に謹呈し給ふ。
て逝去し給ふ。
共に、公、幕府の供奉し給ふ。
O 元和九年三月二十日、景勝公享年六十九歳、米府城に於
使介高津五郎兵衛貞恒、今日米府に下向し、位記・口宣等
O 一応和九年内月十五日、先頃、公、官位に付き、京附への
O一冗和九年七月十六日、伏見へ御出仕、家光公の御上洛を
O元和九年六月十一日、二条御登城ありて、幕府の御入洛
太刀・銀・馬代を献呈、御盃を賜る
O元和九年七月十八日、鍋島勝茂の家司渋谷源右衛門参上、
﹀
ふ
賀し給ひ、御太刀・馬代・黄金十両献呈ありて、謁見し給
持参す。
O 元和九年五月十六日、公、御上洛として江府を御発進あ
。
を賀し給ふ。種々饗応あり、晩景に及んで勧修寺に帰館し
O 元和九年七月十九日、佐賀城主鍋島勝茂息女を、公に配
hHJ
給ふ。
偶の鈎命あり。酒井忠世・土井利勝は、二条城に千坂古川信
o
O元和九年六月十二日、飛鳥井中将雅胤より使節を以て進
羽前米沢藩上杉定勝の文事
ム
、
ノ
歳を賀し奉り、賀儀を進献す。
六四
を召して、厳命を伝えらる。
O元和九年十月二日、公、﹃指微韻鏡﹄を講し給ひ、近侍
第六十輯
O元和九年八月二十八日、日野資勝を、公の御旅館に招請
の諸士に拝聞せしむ。
園文四月子論叢
し給ふ。
島勝茂の許に遣さる。
るに付き、今日御結納の賀儀を、使節千坂高信に命し、鍋
O元和十年正月二十一日、鍋島勝茂の御息女、桜田邸に入
O元和十年正月十八日、去年七月、公、御縁定めを命ぜら
O元和九年間八月十一日、飛鳥井雅胤の使節、御旅館に来
輿し給ふ。
請し給ふ。蹴鞠の装束・時服などを公に進呈あり。
たり、蹴鞠一足を公に進呈あり。
O寛永二年九月十八日、二十日、二十二日、公、﹃古文後
O元和九年八月二十九日、飛鳥井雅胤を、公の御旅館に招
陪従し給ひ、御能御覧あり。
集﹂の講釈し給ひ、近侍の諸士拝聴す。
O元和九年間八月十四日、禁裏に於て踏舞あり、秀忠公に
O一元和九年間八月十五日、飛鳥井雅胤の亭に御越駕、太刀・
近侍の諸士拝聴す。今日講畢る。
O寛永三年二月二十五日、公邸の園中開花の下に、雅延を
O寛永二年十一月二十日、公、﹃古文後集﹄の講釈し給ひ、
設けられ、近侍の好士をして、漢和の吟一誌を催し給ひ、終
刀・馬代・黄金三枚を贈進し給ふ。
O元和九年間八月二十日、勧修寺経広、公の御旅館に来駕
日花見の御宴あり。
馬代・黄金十両を進呈し給ふ。勧修寺経広へも御越駕、太
有りて、呉服二襲を進呈し給ふ。饗宴あり。
O寛永三年三月七日、公、﹃三略﹄を講し給ひ、近侍の士
各拝聴す。同十七日御講畢ぬなり。
を以て、﹃文選﹄一部・呉服五領を進呈し給ふ。
O 元和九年間八月二十三日、公、江府下向として、御旅館
O寛永三年三月十九日、飛鳥井雅胤より使介を以て贈進品
O元和九年間八月二十一日、勧修寺門跡へ、使介来次左近
勧修寺を発進あり。
O寛永三年六月二十二日、二条に出仕し、秀忠公に謁見し
あり。
O元和九年九月十一日、駅路悲なく江府に御着邸なり。
O元和九年九月十五日、公、御前髪を執らせらる。群臣万
し給ふ。公に進呈あり。饗応数刻に及び帰輿し給ふ。
O寛 永 三 年 六 月 二 十 九 日 、 勧 修 寺 経 広 を 深 草 の 旅 館 に 招 請
国産の蝋燭二百挺・時服十領を贈進し給ふ。
O寛永三年六月二十八日、使介を飛鳥井雅胤の亭に遣され、
り。即ち面閲し給ひ、饗宴有りて、帰輿し給ふ。
給ふ。飛鳥井雅胤、深草の御旅館に来駕有りて、贈進品あ
品あり。使介に謁見し給ふ。
O寛永十一年六月二十二日、四辻季継より使節を以て進呈
呈品あり。則ち使介に面開し給ふ。
O寛永十一年六月二十一日、高倉永慶より使節を以て、進
に御着輿なり。
O寛永十一年六月二十日、巳刻御入洛、勧修寺門主の境内
﹁賦初何連歌花の香にまかする袖のゆくへ哉、
飛鳥井雅胤の亭に御越駕、太万・馬代・黄金十両充て進呈
内淡路守を以て、御羽織・杉原等を進呈あり。
息女、始め後水尾院に奉仕、公の御伯母なり︺より使節山
E つ嵯峨明鏡院殿︹四辻公遠
O寛永三年七月二十六日、三条公広・中院通村・日野資勝・
し給ふ。時服五領を中院家司岡本美作守に賜り、時服三領
呈品あり。
O寛永十一年六月二十三日、勧修寺経広より使節を以て進
O寛永十一年九月二十五日、今般四辻季継・高倉永慶・飛
充て飛鳥井家司安田弥七郎・芝山左太夫に賜る。
草御旅館に来駕有りて、総言を伝られ、御馬一疋︹栗毛︺・
鳥井雅胤、江府参向に付き、公、御越駕、旦つ使節を以て
O寛永三年八月十九日、勧修寺経広は勅使として、公の深
御薫物両種を拝戴し給ふ。
官邸に招請・饗応あり。
贈進品あり。
O寛永十一年九月三十日、鷹司教平より、今般参向に付き
O寛永十一年九月二十八日、四辻季継・高倉永慶を、公の
に於て、家光公に拝謁し給ひ、展謝し給ふ。公の御任官を
て、使介を以て贈進品あり。
給ふ処に、左近衛権少将に任ぜらるる旨、ム口命あり、二丸
耽聴し給ふ月卿雲客及び老中諸国の侯伯より、使介を以て
O寛永十一年十月一日、柳営に出仕し給ひ、直ちに鷹司殿
O寛永三年八月二十一日、命に依りて、公、二条に登城し
御昇進を賀せらる。
へ御越駕、贈進品あり。
六五
O寛永四年十一月二十五日、連歌師紹立万句の連歌成就。
右の内、公、御発句の懐紙を差上る。其の御発句に日く、
羽前米沢藩上杉定勝の文事
ム
ハ
ム
ハ
O寛永十三年七月七日、上杉主計居所へ、移徒の賀儀三種
第六十輯
O寛永十二年九月二日、磯九兵衛を米府に呼迎え給ひ、山
二荷進呈す。品川て即日同所へ成御。白銀十枚、三種一荷贈
閥文拳論叢
浦市正光則と改め、采地千石賜る。後また玄蕃と改号す。
入し給ふ。饗宴し奉る
儀、太刀一腰を進献拝謁す。即日公よりも此れを賀し給ひ、
O寛永十二年九月間日、山浦市正光則、新秩及び改号の賀
に連座して塾居間門の上、切腹している。
事に関連するか。因みに山浦光則もまた、定勝没後に事件
猪熊事件の首謀者として教利(公遠男)が斬刑に処された
なお﹃御年譜﹄に﹁故有て﹂とあるのは、慶長十四年に
よりの返翰の趣き、且つ御代香相勤む由、また高野山に至
足十二月十七日江府に帰着。四辻季継・薮嗣良・難波宗種
志駄縫殿義繁に使介命ぜられ、京師に遣さる。同十二日発
殿一物素有無大姉と詳号す。是れに依りて在府諸士の内、
君降誕あり。院崩御の後、嵯峨に居住し給ふ、法号明鏡院
岩院殿の御妹、公の御伯母なり。始め後水尾院に奉仕。姫
らず。抑も此の明鏡院殿は、四辻公遠卿の御息女にて、桂
の由、京師よりの脚力今日江府に達す。公の御感懐斜めな
o
へ共、故有て磯九兵衛と号す。御先批桂岩院殿の御甥なり。
抑も此の光則は、四辻公遠の五男にて、猪熊家を継ぐとい
O寛永十五年十一月十一川、嵯峨の明鏡院殿去る六日逝去
太刀馬代黄金一枚、井に側万一腰賜る。
り、清浄心院に於て、回受茶羅供執行御追福、個に経営あり
公の御従弟たるを以て、今斯くの如し。
O寛永十三年五月三日、四辻季継・高倉永慶を官邸へ招請
し趣き、巨細に言上す。
の諸士の馬揃上覧あり。
なり。
O寛永十六年六月五日、今般四辻大納言季継︹公御母堂の
馳道に於て諸士の馬揃を御覧なり。翌日同所に於て三馬廻
へ到着なり。抑も季信は四辻季継の男薮嗣良の三男にて、
兄︺、去る月二十日逝去に付き、京師より飛機到来。四辻
O寛永十六年六月二日、城北白子神社に御参詣あり。追廻
公の御母堂桂岩院殿の御甥なり。公の御従弟たるを以て呼
公理︹季継嫡男︺・薮嗣良・難波宗種より計問あり。公開
O寛永十三年六月二十三日、高倉主計季信、京師より下向
び迎え給ひ、上杉の称号を賜ひ、上杉主計と号し、采邑千
に付き、品川まで迎えとして岩井左京久親を遣され、官邸
石宛行る。
公よりも京師の御一校方へ計問として、西海枝造酒政重を
勝茂の一統より計問使古我加左衛門来たる。銀子を賜ふ。
O寛永十六年六月八日、同辻季継逝去し給ふに付き、鍋島
し召し、御感懐斜めならず、返翰遣さる
燭を野々山丹後守へ、呉服五領民部卿法印へ贈進。鶴一隻
忠勝・松平信綱へ贈進。鶴及び紅燭を板倉重宗に贈進。紅
同新院御所、同女院御所献呈言上す。且つ一種一荷宛酒井
十月八日御太刀馬代南錬二十枚御進献、同十枚仙洞御所、
御譲位、去る三日今上皇帝︹紹仁、仙洞第四皇子︺御即位、
o
以て使翰を遣はさる。御香資白銀五十枚を四辻公理へ進呈
宛菊亭・飛鳥井・難波・薮へ贈進、逐一言上す。
さいかち
なり。政重同十日発足し、七月十一日帰着拝謁す。
﹁寛政重修諸家譜﹄によれば、
れて問せたまふ。十日卒す。年四十二。隆心大上院と号す。
O正保二年、所領にありて病に躍る。九月六日上使を下さ
O寛永十六年六月十五日、今般江府の連歌師紹益、先年将
軍家御不例の節、祷願として今般一万旬執行に付き、公の
二十一日奏者番安藤右京進重長をして牌銀三百枚を賜ふ。
御発句を請ひ奉り、井に奉加の儀を申し遣す。其の後発句
に日く、﹁梅の題花の香のたえせぬ宿や春の梅﹂。右の通
ル﹂中めヲ Q
。
り御発句を下され、奉加の儀は千坂兵部相量ふべき旨、岩
卜一月一一一 H の旨、告達に付き、京師へ使節岩井大学相高命
O寛永二十年九月十七日、今度当今︹紹仁︺御即位、当冬
であり、晩年に飛鳥井雅章から点を受けたのも当然と思わ
阿野中納言の点を得ているが、飛鳥井は和歌・蹴鞠の宗匠
と親しく交わっていたことがわかる。﹁詠十首和歌﹂には
辻家をはじめとして勧修寺・薮・高倉・飛鳥井・難波家等
右のごとく、上杉定勝は四辻家の血を継く者として、四
ぜられ、御前にて呉服二領拝戴す。在京の酒井忠勝・松平
れる。
井左京より命を伝ふ。
ぜらる。同十一月二十四日下着す。九月十七日女帝︹興子︺
六七
信網指揮を以て、禁裏献呈の品、其の命に任すべき旨、命
羽前米沢藩上杉定勝の文事
閥文拳論叢
二、定勝詠
︻凡例︼
第六十輯
六八
一、﹃定勝詠/飛鳥井雅章卿様御点/黄葉集抜﹄仮綴一冊の前半 (上杉定勝詠) 部分を原本に忠実に翻字する。﹁黄葉集巻第
二書抜﹂(二O丁)以下は省略する。
二、漢字仮名とも通行の字体を用いる。踊り字は漢字仮名にもどす。
おもふより歎
三、添削の跡も忠実に写す。合点及びミセケチ記号等は省略する。評言等には句読点を付す。
awm
にわするる
にかへす
ほとときすたた一声のゆくゑなき雲路にまよふ我か心哉
時鳥
せめてさはしはし都の夢をたにむすひもとめぬ袖の山かせ
つらきかなおも,
風破旅夢
咲てちる日数もまたて山風のなとはしたなく花さそふらむ
りぬへき
散花
世にすめはうきとししけき心さへ花みてくらす春はのとけし
見花
春はたたかすむならひとしるなへに猶うとまれぬ夜はの月影
春月定勝
飛鳥井雅章卿様御点
︻翻字︼
00五
00四
。
。。
。。
。
0 0六
0 0七
0 0八
0 0九
。 。。 。。
。
0
四
聞鷲
(朱)巻の初
聞人の春のこころののとけさもわれにてしりぬうくひすの声
H川 副 仰
くりかへし見まくほしきは青柳のいとのみとりをうっす川水
遠帰腐
時しもあれ花にわかれて行騰の麹吹こすみねの春風
↑
レuH叫リ広宮崎
11HH唱ぶ
またき
朝ぼらけ咲そふ花の木のまよりもれてそ匂ふ鷺の声
暮春
岡郭公
ちる花をつらしゃうしとなけくまに春さへくれに戒にける哉
開あへすいっち過らんほとときすをかへの松の声はかりして
江蛍
むすひをく露の玉江のあしのはに光をそへてとふほたるかな
初秋風
色見えぬ松にも秋はしられけるきのふはかかる風のをとかは
萩露
こほるるはの袖えぬかそる
荻風
錦にやっつみあまれる玉とのみみやきか原の萩の朝露
さらてたに秋はさひしき風の音を軒端の荻にそへて聞かな
羽前米沢藩上杉定勝の文事
五
六九
O二二
O二四
五
第六十輯
年ことに色まさりゆく松か枝のみとりに千世の春やふくめる
松色春久
まよふ身はあなあさましゃ一たひもうき世の外の夢は見さりき
夢
分まよふむかしおぼえて宇津の山猶袖ぬらすったの細道
山旅
いかにしてよそにうき名の立田川つれなき人を恋わたるまに
名立恋
待わふるとしの三とせの後とてもさすか物うき新まくらかな
寄枕恋
待ふかしあはてぬる夜もあふ夜はもとかくかなしき鳥のこゑ哉
寄鳥恋
とひわひぬその里人はをともせて岡への松をうつむ白雪
里雪
玉すたれかかけてむかふ朝明の山のはちかくつもるしら雪
朝雪
くたすともおもほえやらす高瀬舟見る影おなし水底の月
船中月
ちりかかる野への草はの露なから袖にやとしてかへる月かけ
野径月
園文四月子論叢
O 一六
O 一七
O 一八
九
。 。 。。。
。
。
七
O 二六
八
九
0
立春
山霞
あら玉の春立空ののとけさや神代も同し霞なるらん
しら雪も霞に消て春はたたふる郷とをくみよしのの山
海霞
いかにこく難波の海のみほっくしふかき霞のうちの舟人
子日
君をいはふ子日の野への姫子松ひくてにはるのさかへをそしる
若菜
下旬ふるく聞え候。
ごろ鰍
はつかにも見えそめしより春日野の雪まを分てわかな摘也
朝鷺/軒梅/夜梅
右三首無御点、歌略之
青柳
朝ぼらけ柳にかよふ春風の色やみとりのかつらきの山
春雨
つれつれをいかてまきれん花もまた枝にこもれる春雨のうち
春月
春曙
さやかなる秋はありとも花さかりおぼろに匂ふ夜はの月影
羽前米沢藩上杉定勝の文事
七
七
。。 。
。
。。。
四
O四O
O三九
七
第六十輯
一時のよひのまよりもおしまれぬ花にうつろふ明ほのの月
国文問問子論叢
五
1
¥
O 二一六
0
。
四
四
暮春
聞え候はん歎。
かつ残る庭の木のはの秋をたに冬立風や吹っくすらん
初冬御点はつれ
はる後はせめてとおもふ日数さへ残すくなき花のはる哉
ち
行春をかけてせくらん玉川や八重款冬の花のしからみ
款冬
藤なみのかかるさかりは紫の色にそなひく庭の松かせ
紫藤
若草の生るあたりは縄たちてたたにはよらぬ野への春駒
春駒
かきりありてうつろふ物とおもへともさりとても又おしき花かな
惜花
翫花御点はつれ
うつし栽る宿に若木の花の枝にさかゆくすゑの春そしらるる
栽花
秋はこむとはおもへとも又さためなき世にわかるるはおしきかり金
帰
属
時
雨
。
0
0
0
七
O四六
O四五
O四四
四
O四九
O 凹八
[
l
L
I
O五O
跡もなく晴ぬとみれは半空に又うきたちて雲そしくるる
落葉
四ノ旬月のかけくもらぬ心ニ候哉。
夢さますまきの板屋のさよしくれ月にしられてふる木の葉哉
枯野
草はみな霜かれはててむさし野や心はかりにのこる秋かな
符附そひて
索、芦
三島江や置そふ霜もみたれあしのかれ葉にすさふ風のさむけさ
井氷
さゆる夜の氷のうへにうつりきてひかりをみかく玉の井の月
残腐
聞え候欺。
をくれつつ霜まよふ空にくる腐や麹つかれてひとり鳴らん
千鳥
同前。
風わたる川辺のちとりなれてしもなとしら波に立ゐ鳴らん
網代
聞え候。
ふけ行は猶やさゆらん宇治川のあしろのかかり焼そまされる
月
七
羽前米沢藩上杉定勝の文事
七
寒
0
O
。。
O五三
庭雪
埋火
第六十輯
川隆
つらからんあとはおもへと又人のとはぬもおしき庭の初雪
後京極の歌、霜夜のさむしろにて候はは、うつみ火のあたり霜は結ふましく候歎。
さむしろの霜打はらひひとりかもねやの埋火をきあかさまし
山灰竃
大原や雪より出るけふりこそ焼すみかまのしるしなりけれ
仏名
雪のこと罪も消なん御仏のひかりくもらぬ名をし唱へて
孝心尤に候欺。
光明遍照之心に候哉、光明仏といふ仏の名候ははよろしかるへく候歎。
O五五
たらちねのつもるよはひをおもふにも猶おしまるる年の暮哉
一すちにかけていのれとあふことはなとかた岡の森のしめ縄
契恋(朱)七
O五八
いつはりをかさねても又たのむ哉絶はてぬ中の契とおもへと
祈恋(朱)六
しるしなき門にはありともたのめつる人の心の杉をたつねん
尋恋(朱)五
歳
暮
O五九
O五七
O五六
O五四
空さむみ木のはくもらぬ冬のよにひとり時雨るる月の松風
園文皐論叢
五
五
七
四
O六O
O六
O六
O六
O六四
O六五
O六六
O六七
O六八
待恋(朱)八
こよひえ待あかさましおもひかへして
(朱)九
聞え候。位打ハ今契る心よろしかるへく候。
さはりあるならひなれはと徒にきのふを過しけふもまたるる
逢恋
ひとりねにまたれし鳥のなそもかく逢みる夜ははまたき鳴らん
別恋(朱)十
(
米) l
めくりあはむすゑはたのめとわか心なくさめかねつきぬきぬの月
顕恋
人
下もえのおもひのけふりいかてかはうき世につらき名にはたつらん
(米)卜二
(米)十一
絶すとてたのみかたしな年にまれの花にもとはぬ中の心は
恨恋
はつかしなおもひあまれる我恨思はぬ人の心しられて
絶恋(朱)十四
かく絶むものともしらであさはかに見せし心のうちそ悔しき
旧亦山(朱)十五首
久必と旧恋と少心あるへく候。是は久恋に聞え候歎。
なかめこしわか身ひとつのおもひをはとしふる宮の月やしるらん
初恋(朱)一
おほっ何をに
つらきかなしるへもあらすふみそむる恋の山路のゆくゑおもへは
羽前米沢藩上杉定勝の文事
七
五
稀
恋
O七四
O七五
(朱)一一
第六十輯
野萩
路薄
初腐
蔦風/タ鹿
お也
はかりなる
こなたにも花見よとてや樺の宿の中垣まはら成らん
隣楼
暁露
行くれぬいさむすははや道のへにまねく尾花の袖の手枕
ひてん
ゆふ暮の能の荻のそよさらにもろき涙の露もこほるる
篠荻
七夕/稲妻
きのふより背つれそめてけふはなを涼しさまさる袖の秋風
早秋
右四首歳暮の次に置へし、書おとし申候。
ほのみしはねもせぬ夢のこころにて残うつつのおもかけそうき
(朱)四
はかなくや音にのみ聞悌のなにと心に立まさるらむ
かたるはかりに歎
聞恋(朱)一二
うかりける心のいろに似たる哉いはてみたるる露の草かき
しのひあまり
忍恋
図文筆論叢
O六九
七
七
七
見
恋
O七O
。 。 。
七六
O七六
七
O八O
O七九
O七八
七
/
¥
/
¥
O八四
人ことにまたれまたれてあゃなくもぬし定まらぬ腐の玉っさ
叢虫
くれ行は歎
わけでとふ草葉の露も古郷の哀もよほす鈴虫の声
崎霧
立わたる由良の御崎の朝霧にゆくゑもしらぬ秋の舟人
嶺月
湖月
しっかなる風に任て秋の夜の月にそっとふ湖のうら舟
関月
浜菊/祷衣
おさまれる陛に相坂の関の戸の月にはよるも往来絶せぬ
紅葉
生駒山時雨るる空の雲にたにてる紅葉はの色はかくれす
暮秋
長月の月もすゑ野になりぬれは虫もをしかも声よはり行
元日
柳露
さほ姫ゃあはをによりてしら露の玉ぬきとむる青柳のいと
河花
此の=ろはにはひもふかし鰍
聞わたる春の所そ桜川なみさへ花のいろになかれて
羽前米沢藩上杉定勝の文事
七
七
。
O
0
。
第六十輯
納涼
そ殿
を欺
うつし見ょにほひもとをく咲出る池のはちすの清きこころに
蓮
あまつ空ふくものとけき春風にみたれてたえすあそふいとゆふ
胤歎タくれ欺
遊糸
立おほふ震の袖につつめともあまりて匂ふ花の春風
寄霞花
閥文筆論叢
O八五
O八六
O八七
f{
野草花
ヘjJtL1k 風 さ そ ふ 柳 に さ は く し ら 鷺 を 雪 か と 見 る も 夏 の 外 な る
、
,
/
,
/
むさし野やはてなき道のくるしさも秋はわするる花のいろいろ
関雪
宮本草霜
かさなれるよを長月もけふはかり秋とゆふへになりにける哉
閏九月尽
タ霧も晴るる浦はの月影をよせてはかへす浪の秋かせ
浦月
よるこそはなを見るへけれしら菊の色をかさねて匂ふ月影
月前菊
タ荻
O八九
九
九
五円-一に欺
音きけはやかて袖にもかけてけりしのに露ちる荻のタ風
九
O九O
。。。
七
八
O九四
O九五
O九六
O九八
)1
七
九
九
たえわひぬ歎
ふみわくる聞のしら雪見てもまつ道あるみよのほとそしらるる
寄月恋
は歎
かたむける月にはなをもねをそなく立て見ゐてみ人をまつ聞に
疑行末恋
問鰍
むすひをく露の契もたのまれす人の心のすゑのあき風
久恋
はゃある
もえ山てうき恋草のかるる迄一俣の露のをかぬ日そなき
名所松
そ
浦人にとはてもしるし外に又たくひもあらぬ唐崎の松
寄夢述懐
明はまたうつつの身をやたのむへき見しよは夢とおもひしれとも
寄竹祝御点なし
山家
聞え M
。
m鰍
夏も又夢のうき世の山なれは住吉とても心ととめし
山家
閑居
所せくいなはかりをく比しもそ山田の庵はにきわひにけり
草なと結ひ候てよろしかるへく候。
宿はあれぬひとりふり行露の身をあはれいつまでをかんとすらん
羽前米沢藩上杉定勝の文事
七
九
O
。
。。 。
。
懐旧
第六十輯
ぬものか
すゑたのむ心もつきぬ十といひてよつにもあまる年をふる身は
よしさらは
述懐
言のはもよしゃをよはし清見潟雲のうへなる不二のしら雪
眺望
すむ人の有とも見えす古郷は庭のよもきのかけ高くして
古郷
かりねする野への庵りの枕には露こそむすへ夢はむすはす
野宿
此歌写あやまりあらん。
もろこしゃ松浦の沖にゆきかよふ舟も道ある御代は閑しき
今も績かけてのみ
海路
都出し日数おもへはかきりなく遠くもきぬる旅ころも哉
轄旅
すくなるを心の友とおもふより簸に竹を'つつしうへぬる
篠竹
国文問問子論叢
一O 凹
一O 八
一O七
一O六
五
一O九
(ママ)のたつよそにやは見
うつしをくその面影をみつくきの跡なつかしきむかし成けり
哀傷
やかて身のうへそと思ひとりへ野の畑をみるも猶涙なる
釈
教
。 。
。
。
/
¥
夢さめてにしをし向ふおりしもあれかたむく月に袖そぬれける
有
祇
和歌の浦よりくる波のもくつ迄ひかりにもれぬ玉津島姫
祝言
もへたつ
万民あふくにあかぬ日の本の王のさかへや久しかるらん
O卜五肖
震隔遠樹
立おほふ霞にこゑやしつむらんとをくなるおの松の春風
梅花留袖
おなしくは色まてうつれ梅花あかぬ香は袖にととめつ
覇中間鴛
咲花のやとかりそめのかりふしもなれこそしるへ鷺の声
社頭花
した
しめのうちは風もよきてやみつかきの久しく花の匂ふ成らん
山花
やま姫の雲の衣やおりにおふ花のにしきの下に立らん
五月子規
いっとてかさのみに声をおしむらん時は五月の山時鳥
蛍
呉竹のよわたる風にさそはれて窓の内迄飛蛍哉
羽前米沢藩上杉定勝の文事
/
¥
一
四
五
ノ
、
一
七
/
¥
九
。
第六十輯
山朝霧
図文曲目子論叢
一
一
一
ム
ハ
一二九
四
五
七
/
¥
寄心恋
さめてこそ猶はかなけれ一すちに心をかけし夢のうき橋
寄橋恋
あふよこそむへもまとをに成にけれ人の心のあさのさ衣
寄衣恋
しら雪にうつもれはてて冬は猶ありとも人はしらぬ宿哉
間中雪
ふりかかる木の葉の雨に光なき谷のほそ道猶たとりゆく
谷落葉
よるたにも隙こそなけれ難波なるこやの麻衣月に打とて
海辺情衣
月影はいつくはあれと泉川わきてなかれぬ浪の白玉
河月
はてしなき心そかよふ武蔵野やさやけき月の雪の富士の根
名所月
八月十五夜には大やうに候歎。歌はきこえ候歎。
外に又ねかひもあらす草の戸にこよひまちとる月のさやけさ
八月十五夜
いかはかり立かさぬらん明すくる空もくらふの山の朝霧
一
一
一
一
一
。
1
¥
川
│
一二一ムハ
五
七
/
¥
九
聞え候敗。
物思へはわか身ひとつの我心我なら(な)くにみたれみたれて
山家竹
うきふしはそれに任て山里の友とそ頼む庭の呉竹
秋述懐
いつはとは時はわかれぬ身のうさの又かすそふる秋はきにけり
秋祝
敷島や大和ことの集散うせぬ松にそ千代の秋はしらるる
雪中若菜
袖さむみ野への消まにふりそふる春の雪をも摘若菜哉
をつつ
岸柳
河岸に枝たれそふる青柳のいとよりかくるなみの春風
杜卯花
もせす
白妙のなみのぬれ衣きてみれはつゐになき名はもりの卯花
水辺納涼
いなんとは思はれなくにうき草をさそへる波に夏を忘れて
八月十五夜
浮事もこよひはよそに成にけり心迄社月はすむらん
松間月
山里の更行空にすむ月の影吹わくる庭の松風
o
羽前米沢藩上杉定勝の文事
1
¥
一
一
一
一
一
l
九l
一四三
一四四
第六十輯
関の戸はこえてきぬれとあしからやうきふししけき竹の下道
増恋
いつしかに袖ひちそめし泊川淵と成てそ身は流れける
始逢恋
今宵しもあふ坂山の鳥か音は物うきものと聞はしめける
のはに隊
神祇
いみ竹にしらゆふかつらかけそへてすくなる神の心をそしる
此書、昔写置けるを忘れて二度'つつし侍る。
詠十首和歌
震隔遠樹
人とはは見きともいはし春震立へたたれる武隈の松
あたに見る花やおもはん春来てもいつまで旅にゆき帰る身を
轄中見花
一四六
ほとときすしはし雨まの月なから雲にもれくる声のさやけさ
一四八
山ふかみまつ人はなきさむしろも月やとさはと塵はらふなり
たれかしる夏を忘るるゆふ暮の風のやとりを松のもととは
山家秋月
一四九
松下晩涼
雨後郭公
一四七
一四五
山旅
園文撃論叢
四
四
J
¥
四
五
湖上暁霧
秋の夜の哀そ残るにほの海の霧にかくるる有明の月
嵐吹突、草
冬は猶ふるさとさひし嵐ふく草の枯葉に月もやつれて
雪似白雲
うき雲のまよひは晴てふくかせにまことを見する富士のしら雪
遇不逢恋
寄神祇祝
(了)
くりかへせかくたえたえのわかちきりむすひあはをのいともかひなし
いのるより神や守らんわか君のまことをまなふ下か下迄
とりとり珍電の内、合点七首。
右十首阿野中納言殿御点也。
羽前米沢藩上杉定勝の文事
1
¥
五
。
五
五
五
五
1
7
4