Page 1 65 JAPANESE AMERICAN NATIONAL MUSEUM Page 2

Transcription

Page 1 65 JAPANESE AMERICAN NATIONAL MUSEUM Page 2
全 米 日 系 人 博 物 館
JAPANESE AMERICAN NIATIONAL Nll■ IsEUM
な ぜ、人 は アメ リカ に移 り住 み
ここで、 どん な生活 を営ん で
どんな、 で き ごとに遭 遇 した のか
全米 日系人博物館は、 日系アメ リカ人の体験を伝えるアメ リカで初めての博物館です。
19世 紀後半、夢 と希望を持 ってアメ リカヘ渡 つてきた 日本人移民たちは、 ここアメ リカの文化や慣
1習 を取 り入れ、地域社会 との交流を図 りなが ら、 自らの コミュニテ ィを形成 してきま した。 しか し、
1941年 (昭 和 16年 )12月 、 日系 コミュニテ ィの行 く末を大きく変える出来事が起 こりま した。 日本軍
に
よるハ ワイ真珠湾攻撃です。 この常設展 『コモ ン・グラウン ド
(共 通の心)』
では、戦時中の強制収 容
の体験 に焦点をあてなが ら、現在の 日系 アメ リカ人の コミュニ テ ィの形成 ・変遷の過程 を紹介 して いき ます
.
また、 この 展示 を通 して、 日系 アメ リカ人 らが体験 した国 家 による非法行為が 三 度 と起 こらな いよ う、 また社会や国家に対 し公
1公 1民
c
と
︲︲
姉
議
罐
︲︲
︲
摯
世
正 と正義を要求する ことの重 要性 を少 しで も感 じ取 つて いただ けれ ばと考えて い ます
権運‐
動 と日1系 人│
④ 再移住と再建.
そ して歴史の再考
← 企 沖i展 示室 へ
マ ンザナ
強制収容所模型
補償運動 と
米政府の謝 罪
戦 地 へ赴 い た
︲
■.
■● 犠 牲一
系一
︲
i鳳
軍群‰鳥進
強制収容
への反応
一
③ 戦争中・収容所の
↓
藝
E
収 容所 の遺 品│と 映像
収容所1跡 │
の機 品│
日系人 コミュニティ
訃
ハ ワイ│の1日 系
コミニ│二 │テ ィ
強1制1収 容所 の生活
1収 1容 所の分布図
る│
真珠湾攻撃 から―
強制収容始ま―
ガラス助
:
② 移民と初期の日系人コミュニティ
移民に使わ│れ │た●
ス■ツケ■│ス │の 1山
① ハー ト・マウンテンのバラック
諄零露
覇準酪写,
象
:S纂
l瞥
‐‐
厳 しい生活環境から ■世が
=‐
作 り上げた初期の■
「 菫1系 │=ミ
‐
ュニティ」興隆の様子■■
第 7.展 ホ室 ハ 卜 ・マウンテンのバラツ ク
∼過 去か らの教副1∼
この本造/J渥 は何のたみに│
慕
[il[》
手洗 い、 お風 呂、食堂 は別棟 の バ ラ
ックにあ り、 共 同で いつ も行 列 と混雑
がつ きま といま した。 この よ うな 同 じ
バ ラ ックが 500棟 並 ん で いて、 全体 が
鉄 条綱 に囲 まれ、 銃 を持 った兵士 に24
盗二也左のでしょ う
時 間監視 され て いま した。 (=写 真 は
サ ンタアニ ー タの集合 セ ンター 内監視
タ ワー)
コモ ングラ ン ドを象徴す る展 示の
一 つが 、2階 へ の階 段 を上 が って す
強制収容所の本造小屋
ぐに見えて くる木造 の バ ラ ック (写
真 右 )で す 。 真 珠 湾 攻 撃 (昭 和 16
年 )以 後 、 この 粗 末 な バ ラ ックに、
日本 か らの移 民、 そ して 両親 を 日本
人 に持 つ ア メ リカ生 まれ の二 世た ち
まで もが、 敵性外 国人 とみな され、 強制収 容 され て い ま した。
建 国以 来、 自由を求め る世 界 中の移民 を受 け入れ て きた ア メ リカで
、 ど ぅ して こ
の よ うな こ とが起 こったので しょ うか。
☆
雪ら臭 百足兵 づ ;;ι 量 :5尋 手 F量 三 兵世黛兵 轟「
串 ヱ II椎 努貢ヌ 督 冥質壌
強制収 容 され ま した。 うち約 3分 の 2は アメ リカの 市民権 を持 った
アメ リカ生 まれ
の アメ リカ人で した。 当時、 全米 に この よ うな収 容所 は 10箇
所 あ り、 各収容所 には
約 1万 人が収 容 され、 終 戦 まで 3年 余 を この よ うな バ ラ ックで ご
過 す ことを余儀な
くされ ま した。
実 際 にハ ー ト・ マ ウ ンテ ンに あ った バ ラ ックで は、 一 っ屋 の下 4∼
6家 族 、
根
に
つ ま り20人 以上 が暮 ら して い ま した。 展 示 して い るバ
ラ ックの奥 にその一 部屋 が再
現 され て い ます。 これ が一 家族 分 です。 天丼 か ら裸 電球 が一 つ
下 が って い ま した。
壁 は薄 く、隣の 家族 との仕 切 り壁 の上 半 分がな くてお互 いの声が
筒抜 けだ った とぃ
い ます。
『
地
移 民た ちの ス ー ツケ ース の 山
第 二 展示室 へ →
又υ P初 期の 17本 人移民は と
歴
ハ ワイの 日本人移民たち
149人 の 日本 人が初 めて集 団移 民 と して ハ ヮイ に旅 立 ったの は、 1868年 (明
治元
年)の こと。 当時、 ハ ワイのサ トウキ ビ畑 の経 営者た ちは、安 い賃金 で働 く人 を探
して い ま した。 この 149人 の 移 民者 た ちは、 明治元 年 に移 民 したの で、 元 年者 (が
んね ん もの )と 呼 ばれ て い ます。 サ トウキ ビ
畑 の 労働 (=写 真 図の 中)は 大変厳 しく、 元
年 者 の うち40人 が この 扱 い に対 して抗 議 し、
黎
iii[:[li懐 ili[│:│:与]ll][[li傷 [i:昔
とによ って、 合衆 国憲 法 に基 づ いた基 本 的権 利 が保 障 され ます。
め、 ア メ リカ 生 まれ の 日系 三 世は、 ア メ リカ人 と して 「
│≒
威1」 な暮 ら し
(=写 真 左 )と い う集 団 を結 成 し、 ニ ュー ョ
ー クで、 日米 間初 の直接 貿易 を始 め ま した。
(上 )courtosy Of Thc National Archives(Local lD″ 210-G-3388)
Kawakaini,」 apanese Amer can National Museum(NRC 1997 41 1)
Japanese American Nat onal Mt,set,m(988422)
R
つ⊃
が、 ア メリカ政 府 によ って 守 られ るべ きで した。
この た
日本 に帰 国 して しま いま した。 その後、 1876
年 に 6人 の 日本 人移 民 ビジ ネ スマ ンが 乗 って
きた 船 にちなんで「オセ アニ ック号 グル ー プ」
CoHcction Of Barbara
Cift of Haru Reischauer
ガ ラス扉
アメ リカ本土 へ の移民
二
匡 ]真 珠 湾攻撃 と強制 収 容
:]l11:)
初 期 の 日系 コミュニ テ ィ
日本文化 との つ な が りを保 ちな が らも、徐 々 にア メ リカ社 会 へ 適応 して い った一
世 た ち。 ア メ リカ生 まれ の二世 の子供 達 は、 ボ ー イ スカ ウ トヘ の 参加な どア メ リカ
人 と しての 教育 を受 ける一方、 日本語 学校 で 日本語、 日本文化 ・伝統 を学び ま した。
こ こで は、 ロサ ンゼル ス にあ った羅 府 第 二 日本語 学 園の教 室 が再現 され て います。
当時の ビデ オ映像 か らは 日系 コミュニ テ ィの様子が うかがえ ます。
排 日 運 動 と 日系
囲]二世の誕生
回□
↑第二展示室へ
移民と初期の日系人 コミュニティ
ビデ オ 映 像
1905年 頃、 日本 人の存在 とその コミュニ テ ィの成長 を快 く思わな い活動 家が、排
日運動 を始 め るよ うにな りま した。 日本 人 によ る土地所 有 の禁止 や、 日本語 学校 ヘ
の弾圧 な どがお こなわれ ま した。 1908年 の 紳士協 定 によ って、 日本政 府 は アメ リカ
ヘ の 日本 人労働者 の 移 民 を 自粛 す るよ うにな りま した。 それで も、 すで にア メ リカ
に いる 夫 に合 流 す るため に、 妻 が ア メ リカ に渡 る こ とは合法 だ ったた め、「写真 結
婚 」 が盛 ん で した。 191030年 ごろ には、 ア メ リカ生 まれ の二 世 が増加。 1940年 頃
ガ ラ スケ ー ス
排 日運 動 と 日系 二 世 の誕 生
□
☆ 一 の ■汁 o﹁ ﹂”0末 ”う0 ﹁0∞∞K 一
>●フ0ヽ一
∠”生 03 一
くく0汁 ・﹂”0 う0∽0 ^
0 う 一
,
,
,
,
,
第2農 示室
には 日系人の 60%を 占め るよ うにな りま した。
だ
31麿 基
二
事
基
鳳
ふI¨ 1墓 花
話
C'葉 塁
すでに渡米 していた一世 の多 くは、 日本にいる女性 と写真を交換 し、 自
らの花嫁を探 しました。その結果、多 くの女性 らが、ガiし い機会を求め、
写真交換 した 男性 と日本で籍を入れた後に渡米 しました。 これが、 一般
に 「写真花嫁」 と呼ばれる女性たちです。
の11
移民たちのス■ツ│ケ ー不―
↑第 一 展示室か ら
★ 1(写 真 図の 中)
リ トル 東京、 当時の西本願 寺 前 (現 ・ 全米 日系人博物館 の本
館 )か ら、 バ ス に乗 つて集 合 セ ンター ヘ 強制退 去 され た ときの様 子。収 容所 の建 設
が間 に合わ なか った ため、 日系 人 らは、 一時 的 に集 合 セ ンター ヘ 集 め られ、 その後
収 容所 へ と移 動 させ られ ま した。
国
真珠湾攻撃 と強制収容
1941年 (昭 和 16年 )12月 7日 、 日系 コミュニ テ ィを混乱 に陥れ る 出来事が起 こ り
★ 2(写 真右 )収 容所 へ は、 手 に持 て る荷物 の
み しか もって行 くことが 許 され ず、 日系人の 多 く
ま した。 日本 軍 による ハ ワイの真 珠 湾攻撃 で す。 その翌 日、 ア メ リカは 第 2次 世界
はそれ まで築 き上 げた財産 のほ とん どを失 いま し
た。 また、 コミュニ テ ィによ って は48時 間以 内の
大 戦 に参 戦表 明 し、 ア メ リカ政 府 は、 即座 に全 米の 日系 コミュニ テ ィの指導 者 を逮
強制退去 の命令 を受 け取 る ところ もあ り、 慌た だ
捕、拘禁 しま した。 翌年 2月 には西 海 岸在住 の全 ての 日系 人 は強制収 容所 へ送 られ
る ことにな りま した。 日米 どち らの 国籍 を保持 して いるか にか かわ らず、在 米の 日
系人はす べ て 「敵性 で あ る 日本 人」 と同一視 され たのです。
しく財産 を処 分 しな けれ ばな りませんで した。 こ
こに展示 されて いるスー ツケ ース は、 当時 日系人
らが、収容所 へ 行 く際 に使 った ものです。
第3機 宗壼‐ 戦争中・収容所の日系人コミュニティ
さ ら に は、 日系 人 強 制 収 容 政 策 に反 対 し、 日系 人 らを サ ポ ー トす る ア メ リカ 人 も少
数 な が ら存 在 しま した 。
│コ 忠誠登録
り
強制収容所 とはどんな ところだ ったのでしょ うか
Gift of Yukio Nakamura,」 apaneSe American
□
National Museum(93921)
強制 退 去 と収 容所
1942年 か ら 1945年 (昭 和 17∼ 20年 )
特月1な 収 容所 に連 行 され ま した 。
忠誠登録∼質問27&28 あなたな らどう答えますか ?
にか けて 、 日系 ア メ リカ 人 の 多 くは武
装 兵 士 の監 視 の 下 、 有 刺 鉄 線 に 囲 まれ
た大規模 な強制 収容所
敵性 外 国人 と して収 容 した 日系人 らに対 し、 ア メ リカ政府 は合 衆 国 へ の 忠誠 を問
うとい う矛 盾 した行 為 を行 いま した 。 ア メ リカ合 衆 国 へ 忠誠 を 誓 わ な か った者 は、
(=写 真 )で の
生活 を余 儀な くされ ま した。
収 容所 生 活 を強 い られ た 日系 人 らは、
今後 の 将来 に不 安 を抱 きな が らも、 平常の生活 を行 お うと努 力 しま した。収 容所 内
には、学校 や教会 、同好 会な どが設 立 され、スポ ー ッ大会、ダ ンスパ ーテ ィーな ど、
様 々な イ ベ ン トも行 われ ま した。
収 容所 で記入 が義務 づ け られ た忠 誠登録 で は、 特 に質 問 27と 28の 内容
が論 争を引 き起 こ しま した。
質 F127番 「合衆国 の 戦闘任務 に、 命 令され た いか な る場 所 にお いて も服 す
る意思が あ るか」
質 問 28番 「合衆国に無 条件忠節を誓 い、外国、国 内勢力のいずれ を問わずそ
れ らのあ らゆる攻撃 に対 して忠 実 に合衆国を守 り、 また 日本 国天皇 またはそ
の他の外国政府、勢力、 または団体 に対する忠節、服従を誓 って否認するか」
ニ
匝 ]ハ ワイ の 日系 コ ミ ュ テ ィ
当時、 ハ ワイの総 人 口約 40%が 日系人 だ ったため、ハ ワイの 日系人 は一部 の コミ
↑第四展示室ヘ
ュニ テ ィ リーダ ーな どを 除き、 強制収 容 の対 象 にはな りませんで した。 強制収 容の
強制 収 容 へ の反 応
ア メ リカ政府 の 強制収容政策 に直面 した 日系人の反応 は さま ざまで した。退 去命
令 の違法 性 を法 廷で 問 う道 を選んだ人、 収 容所 か らの徴兵 に異議 を唱え る人、政 府
【
傘米 ■■力所│の1強 制収容F r】
;■
午難〔
鑢
…
麗
―
│・
4■ アマチ
ー
511ハ ニ トマ ウンテン
収 容所 の
遺 i鴨 と映 像
透明1板 │の 上を歩│ヽ て
みて (だ さい。各収
容所│の 土 と遺品が入
つてしヽます→
…
馴
16]強 制 退 去 と収 容所
111ツ ー ル レ イク■‐
↑第 二展示室か ら
同]忠誠登録
の政 策 に従 うことで戦 時 中の混乱 を乗 り越 え よ うと した人、 ア メ リカ に絶望 し日本
帰 国 を希望 した 人、 米 陸軍 へ 志願 す る こ とで、 祖 国ア メ リカ ヘ の 忠誠 を示 した 人、
ガ ラ スケ ー ス
国
日系部隊の活躍[∃
□
日強制収容へ
の反
応
対象 にな らな か った ア メ リカ生 まれの二 世の 多 くは、祖 国ア メ リカのため にと、 ア
メ リカ軍 へ 志願 しま した。 ハ ヮイの二 世 だ けで編成 された loo歩 兵大 隊、後 に強 制
収 容 され て いた二 世 も加わ った 第 442連 隊戦 闘団の勇敢な戦 いぶ りは今 も有名です。
遺 品 と映像 か ら見 る収容所 での暮 ら し
□
□ 公民権 運 動 と 日系人
収容所 内で空 き缶な どで作 つた仏壇 や、当時使われて いた もの を展示 して い ます。
毎 日の生活 を撮影 した ビデ オ映像 、 さ らに各収 容所 の フ ァイ ル には、収 容者 自身 に
よ って書 かれ た記録 が保存 されて います。収 容所体験 者 は、 当時の様子な どを書 き
企 画 展 示室 へ ↑
残 して くだ さい。
日系兵の犠牲
□
ア メ リカ軍 へ従 軍 した 二 世 らは勇敢 に戦 い、 多 くの犠牲 と引 き換 え に数 々の功績
を残 しま した。 戦死 した二世兵士の家族写真 や収 容所 か ら出兵 し、戦死 した兵隊 を
偲 ぶ慰霊壁な どがガ ラスケー ス に展示 され て います。
日系部 隊 の活躍
日
日系人部隊が送 られた ヨーロッパ戦線 の地図や米軍最高賞の名誉勲章を受賞 した
442部 隊 の兵士の活躍を知る事が出来ます。また、陸軍情報部 (MIS)に 従事 し
た二 世 らは、 自らの 日本語 スキルを生か し、通訳や情報収集など、秘密裏 に活動。
戦後 のアメ リカ占領下の 日本では、 日本国の立て直 しにも大きな貢献をしました。
第 二 展示室か ら
ま した。 日系人 もその例外 で はあ りません。 日系人以外 の マ イ ノ リテ ィが ア メ リカ
の過去 を問 い正 す 中、そ の頃成 人期 にあ った三世 た ちは戦時 中 に家族 が受 けた不 当
第IJ‐ 農 壼
1示
再移住 と再建。そ して歴史の再考
□
ヽ
御
1970年 代 まで には、 多 くの草 の 根 活動 団
体 が、 戦 時 中の強制 収 容 の 不 当性 を主 張 し
始 め、 日系 人 の基本 的人権 を侵 害 した こ と
再定住
□
補償 運動 と米 政府 の謝罪
を認 め るよ うア メ リカ政府 に要求 しま した。
日本の 降伏 を もって強制 収 容所 は 閉鎖 され ま した。 一世 の
多 くは高齢化 して お り、彼 らが戦 時 中 に失 つた もの全 て を取 り戻 す ことはで きませ
1945年 (昭 和 20年 )、
1988年 、政 府 は 自らの過 ち を認 め、 公 式 に
んで した。 しか し、 日系人 た ちは、徐 々 に戦前 に築 きあげた社会 との繋 が りを回復
謝 罪 し、 被収容 者 に対 し具体 的な意 思表示
と して の 補償 金 を支払 う こ とに同意 しま し
させ、新たな一歩 を踏み 出 して いき ま した。
た
方々の イ ンタ ビュ ーの一部 の録音 を聞 くことがで きます。
│コ 市民権 と政治の世界
1950年 代 には、 日系人 に とつて政治的 に大 きな変化 が二つ あ りま した。移民法改
正 (1952年 )と 、 ハ ワイの州認 定 (1959年 )で す。 これ によ つて、一世の市民権取
得 が可能 にな り、 当時総 人 口の過半数以上 を 日系人が 占め て いたハ ワイで は、 日系
人の 国政参 画 が可能 にな りま した。60年 代 にはハ ワイか らダニエ ル ・イ ノウエ 上 院
議 員、 ノーマ ン・ ミネタ下 院議 員 ら 日系人の議 員 が選 出 されて います。
日
「マ ンザナ強制収容所 │と は
ロサ ンゼル ス北 東 320klllの 「マ ンザ ナ強制 1又 容所 」 には、約 1万
1千 人の 日系 人が強 11収 容 され て い ま した。 戦後 は 荒れ 果て た ま まにな
って いま したが、 日系人 らの保存運 動 で、 197211に 州 の 史跡 に、 97年
には米連 邦政府 が 国 立史跡 公園 として、 10年 がか りで整備す る と決定。
2004年 資ド1館 が完成 して います。
公 民権運 動 と 日系人
1950・
(=写 真 右 )。 こ こで は政 府 が 行 つた調 査 で の 証 人証 言 や 補償 運 動 に関わ つた
60年 代 は激動の 時代 で した。 人種差別 を受 け政治的 に無 力だ ったマイ ノ リ
テ ィ (少 数民族派 )は 、 ア メ リカが掲 げ る理想 に見合 う扱 いを要求す るよ うにな り
10
※ 「コモ ン・ クラ ン ド」 の さらに詳 しい説 明は、下記の リンクを参照 くだ さい
www janm org/jpnノ exhib ts,commOl]ground/
11
■ 資料 セ ンタ ー (マ ナ ビ &ス ミ・ ヒラサ キ・ ナ シ ョナル ・ リソ ー ス・ セ
ンタ ー)
第 二 次 世界 大戦 に従軍 した 日系兵士 の 1万 5千 人 のデ ー タ ベ ース、 強制収 容所 時代
の記録等 に個 人 で ア クセ スで き ます。 初期移民 の渡航 記録 を検 索 してみ る と、
著名
な 日系人 の名 前が発見 で き るか も しれ ません。 ビデォ、 日本 語 の 本な どもセ ンター
にて利 用 が可 能 です。
■ イ ンフォメー シ ョン
fi所 :369 East First Street, Los Angeles, California 90012
電話 :(213)625-04コ 4 フ ァックス :(213)625-1770
フ リーダイヤル (米 国 内):1-800-461∼
開館 時 間
5266
:
火曜 日∼ 日曜 日
・
午 前 11時 ∼午後 5時
木 曜 日 正 午 ∼ 午後 8時 (5時 以 降及 び第二 木曜 日は無料 )
休館 日 :毎 週 月曜 日、独 立記 念 日 (7月 4日 )、 感謝祭 (11月 第 四木曜 日)、
ク リス マス 及 び元旦
グル ー プッアー (lo名 以上 か ら):火 曜 日∼ 日曜 日 午 前 10時 ∼午後 5時 、
電話 (213)830-5601ま で要 予約
開館 時 間の確認 は電話 (213)625-0414ま た は
ウエ ップサ イ ト www.,an m.orgに て、 お確 かめの上 ご来館 くだ さい。
入館 料 :一 般 /団 体
大人
シエ ア
学生
子供
$9/$8
$5/$4
$5//$4
$5(6∼
フリーウェィ(101)
民主主義
保存 センター
17歳 )
lSTス トリート
学生 は身 分証 明証 要
“
“
︼
﹂
い
﹂
ヽ
ピ寵 t
c
甥炒TF心
に
い撼
し
ヰヽ淳
料貸 し出 し
口L ヽた こ メ凛
身障 者 用 設備 、 車 椅 子無
ЧL10Hへ 宮 繊0︶
博物 館 会 員 と 5歳 以 下の
子供 は無料
フリ…ウェイ(10)
本書の制作 には Terasaki Foundation Laboratoryか ら助成金をいただきま した。
この 日本語ガイ ドブックをよ り多くの ご来館者の皆様 にご利用いただ くため、
紙、 コピーにかかる経費にご協力くだ さい。寄付 S100∼
発行 :全 米 日系人博 物館 2009年 3月
Cover Photo by Norman Sugimoto
Little Toky●
Business
SK Uyeda
丁okyo GifL
CalifOrnia BanknTrust
Manufacturers Bank
UniOn Bank
B-2 213-229-4000
0-3 213-687-6400
C-2 213-972-5500
Utsuwa No Yakata
Vantage Sporte Shop
Vertex
Waraku
B-2
C-2
D-4
B-2
C-1
C-2
213-624-4790
213-626-1308
213-621-2071
213-617-0875
213-620-0033
213-995-9996
C-1
B-2
C-1
C-2
B-2
213-972-9208
213-629-1200
213-617-0128
213-488-0011
213… 628… 7600
医 院 ・ カ イ ロ・ 歯 医 者 他
Best chirOpractic Clinic
Gregory Kame,OD
HarOld wakamatsu
l ChirOpractic
lto DDS
Little TOkyo Dental Lab.
Mitsuya Yamaguchi MD
Watanabe,Keith DDS
D-3 213-617-2228
B… 2 213-628-7418
0… 4 213-625-0561
C-2 213-687… 7497
D-3 213-687-3895
C-3 213-680-9935
C-4 213-626-4495
C-4 213-620-9906
Daimaru Hotel
Hotel New Otani
Little Tokyo Hotel
MiyakO Inn
Oregon Hotel
abba
AnshindO
Blooming Art Gallery
Bunka― dO
Came‖ ia Beauty Shop
Cools
Essence&Jewelers
F00t Land
Ftti COsmeucs
Giftime
Cinza usA
JK FashiOn
」oseph's Mens Wear
Kimura PhOtOmart
KinOkuniya Book Store
Little TOkyo Art&Gift
Little TOkyo Cosmetic
Little TOkyo Outlet
Marukai 98 C Plus Store
Mickey Seki&Son
Naris Hair&Skin Care
Plaza Gift Center
Rafu Bussan
Senka cafe
C-2 213-623-6441
B… 2 213-680-1083
B-2 213-622-5445
0… 2 213-626-0181
C-2 213-625-1122
C-3 213-617-0760
0-2 310‐ 365-9160
C-2 213-626-0181
0-2 213-626-0181
C-3 213-628-5197
C-2 213-626-7207
C-1 213-625^3839
0-2 213-613-0991
B-2 213-626-1830
C-3 213-622-3968
B-2 213-687-4480
C-1 213-620-1496
D-4 213-626-2342
D-3 213-680-4012
C-2 213-995-1111
D-3 213-687-3895
C-2 213-687-4116
0-2 213-680-3288
C-3 213-614-1181
B-2 213-620-9463
C-2
C-2
C-2
C-2
B-2
0-2
C-1
c-2
Ona Karaoke Bar
Oiwake Karaoke Bar
Oomasa Restaurant
Orochon Ramen
Shabu― shabu House
SuehirO Caf6
Sushi&Teri
Sushi 333 East
C-2
Sushi Gen
Wei:and
D-3
D-1
スーパー・ベ ーヵリー
Maruka:
Nuiya Market
Yamazaki Bakery
D-3
C-1
B-2
D-4
C-2
C-2
美容 室 、旅 行 会社 、ビデオ 店他 サ ー ビス
A:Beauty Salon
C-4 213-620-7963
City Hair
C-3 213-620-0018
Don's Hair Salonl
B-2 213-687-4461
Du Japon Hair Club
C-3 213-680‐ 0999
Fami:y Mart Vidoo
C-1 213-680-7850
H.1.S.Int'l Tours LA,Inc.
Cosmos
Curry HOuse
Curry House To Go
Daisuke Dai― Ichi
Focus Karaoke Box
Frying Fish
Hibachi Korean BBQ
Ishito Kappo
Joy Mart
Kagaya
Kanimura
Koraku
Kushi Shabu
Mako Sushi
Maru
Mitsuru Cafe
D-3 213-687-0905
C-1 213… 624-8260
C-1 213-621-2227
B-2 213-620-0855
B… 2 213-620-0855
B-2 213-617-2239
C-2 213-680-3015
C-2 213-680-0567
C-2 213-680-1039
B-2 213-626-1509
C-2 213-680-9868
D-3 213-617-1016
D-3 213-617-1003
C-3 213-687-4972
B-2 213-621-0210
B-2 213-613-0083
D-3 213-626-6055
C-2 213-613-1028
Hair Salon Dtta―
Vu
lke Mbc,Inc.
Jetce‖
KyodO Drug
Nagoya international Businel
New Japan ttravel
Plus One Hair Studio
Sun Video
丁okyo Cleaners
Uyehara Travel
Yamato Travel
D-3 213-613-0943
B… 2
Hair Craft
AlbatrOss
Aoi Restaurant
213-680-2881
213-623-4141
C-2 213-680-0588
C-3 213-680-0003
Zakuro
213-680-4899
213-625-8595
213-898-7200
213-687-6699
213-680-3280
213-624-2773
213-617-1745
213-625-0066
213-617-7839
213-628-2678
213-623-9048
213-620-9023
213-680-3890
213-626-9132
213-687-8368
213-626-1790
213-617-0552
Yagura lchiban Karaoke Bar C-2
Yogurt&Ice Cream
Frances Bakery
FugetsudO
ABAB sports
D… 3
Murasak:
Nirvana
C-3
D-3
D-3
C-4
B… 2
C-2
D-3
D-3
D-3
C-3
B-1
213-625-2033
213-626-8147
213-621-2902
213-613-0701
213-628-3894
213-628-0280
213-628-0280
213-617-0016
213-625-0700
213-628-2474
213-680-2499
213-680-0033
PrOduced by LittitTOkyo Koban
リトル 東京交番 は、小東京防犯協会によって 1996年 よ
り運営されている施設です 。ボランティアにより日英両
語のサービスを行つており、リトル 東京の防犯や美化に
努めるとともに、ロサンゼルス全域においてのビジター
センターとしての 役割も担 つてお ります。